今日はメーデーである。最近ではあまり聞くことはなくなった。
私も言われてみればそうだったなということで、メーデーのことはほとんど意識にない。昔デモにも参加したことはない。
しかしメーデーは労働者の祭典なのである。そうではあってもメーデーは国民の祝日にはならなかった。
なにより日本には労働者がいなくなってしまった。勤労者になってしまった。
労働者の権利を守る、というスローガンがあったが、今は誰が労働者の権利を守っているのだろうか。単なる懐かしい言葉になってしまったようだ。
メーデーのこととは全く関係がないが、ある人が高級老人ホームに入居したという記事があった。記事になるくらいだから、その人は私が知らないだけで有名な人なのかもしれない。
入居金は6,000万円で、90歳まで生きていればその他の経費を合わせて1億円かかるが、とりあえずそういうことにした、というのである。
何年か前に、倉本聰の脚本で「やすらぎの郷」という老人ホームを舞台にしたテレビドラマがあったが、それが入居するきっかけになったらしい。
この人は80歳前である。いい決断だったのか。自分の意志で物事を決められるということであれば早すぎるということはない。
本格的な老後というのは70代以降のことであろう。60代の老後は早すぎる。
自分が70代半ばすぎて、まだ頭は正常だと思っているから、何事も決断は早いうちがいいと思っているが、80代、90代であっても心身共に元気であれば生活に不自由することはないのであろう。
しかしこれから迎える年代については、病気とかボケが常にセットになっているから、何をどう考えたら一番いいのか分からない。
とりあえず将来を考えて老人ホームを買っておくと言ったって〝とりあえず〟に1億円である。金がなければ〝とりあえず〟どころではない。行き当たりばったりである。
日本の富裕層が増えている、というレポート記事があった。富裕層とは何を言うのかと思ったら金融資産で1億円以上だそうである。5億円以上は超富裕層というらしい。
この分け方には土地持ちを含んでいないそうであるが、土地を持っているくらいなのだから何億もの金融資産も持っているだろう。
しかし富裕というには資産5億円以上必要ではないか。終の棲家に1億円もかかるというのであるから、1億や2億では生活できないということになる。
1億円というのは超高級老人ホームのことで一般的なことではない、言われるかもしれないが、人間らしい老後を過ごすのに1億円以上必要ということがはっきりしているのである。
このお金を持っていない人の老後は人間らしいものではないと、この高級老人ホームは言っているのであるる
いい大学を出て、いい会社に入った人が、退職後手にする老後資金はいくらであろうか。
株取引とか特別なことをしていないとして、良くて1億円、普通で5,6千万ということであろうか。3,000万くらいかもしれないが、年金を合わせ、生活はしていけそうな金額である。
人生金持ちになりたかったら会社勤めをしていたらダメである。幸い日本の社会は金持ちになることに何の制限もない。しかし優秀な人の大半は、いい大学を出て、いい会社や役所に入って人生を終える。
私の知り合いの不動産会社の社長さんたちは、わずか10年か20年で数十億の資産を成している。日本の社会はやる気と度胸があれば、ドバイの金持ちのようにはなれないが10億くらいの金持ちにみんななれるのである。
不動産会社の社長さんたちはいい大学を出ていない、だから優秀ではない、という気はない。いい大学を出ていないから金持ちになれた、ということである。
芸大を出た、なかなかいい絵を描く人が亡くなった。お金に不自由していたそうだ。なにか人生の理不尽を感じるのである。
人生金ではない。金には代えられない人生と言うものがある。確かにそう言えると思う。
しかし老後もそういう人生であってくれれば何も言うことはない。(了)
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