メンタルハーモニー

音楽

 学生時代、合唱団の指揮者をしていたことがある。ワグネルとかグリーとかいう名門ではなく、普通以下の大学の普通以下の合唱サークルでのことである。
 上級生たちから、私の指揮に対して「メンタルハーモニーがない」という批判をよく受けた。

 「メンタルハーモニー」
 もちろん音楽用語ではないが、分らぬわけではない。
 「音楽は技術ではない。心が大切だ。仲間意識がなければいけない」。こんなところが上級生の言いたいことである。

 自慢話になるが、私が指揮をするようになって短期間で見違えるほどの、いや聴き違えるほどの合唱団になった。今までが、単なる歌声サークルであったからである。
 そんな時そんな批判を受けた。この上級生たちは、共産党の青年組織に加入している人たちだった。

 「素晴らしい合唱団になったではないか。その何がいけないと言うのか」
 上級生に訊ねると、「音楽に上手さを求めると人間の連帯を失う」、と言うのである。

 そんなに連帯が好きならアコーディオンでも伴奏に、こぶしを突き上げながら労働歌でも歌っていればいいではないか。歌声喫茶に行って、みんなで肩を組んで「がんばろう」でも歌っていればいいではないか。

 音楽は純粋なものだとは言わない。私は音楽をやりたいのだ。みんなも音楽がやりたくてこの合唱団に入っている。真似ごとでもいいから歌が上手くなりたいだけである。連帯したいのではない、と言いたかったが面倒なので言わなかった。

 私にメンタルハーモニーがないと言った上級生の一人は、卒業後合唱団の女性と結婚したらしいが、数年後離婚したという話を友人から聞いた。
 メンタルハーモニーを言う人がどうして離婚などしたのか、と皮肉の一つも言いたかったが、連絡先が分からなかった。しかし、そんな程度の男だろう軽蔑した。

 メンタルハーモニーとか連帯という言葉は、底の浅い、変革者気取りの、音楽を知らぬ、格好だけの若者が口にするものである。

 メンタルハーモニーを口にしていた上級生たちは今どうしているのであろうか。みんなもう80近い。今でも社会変革を目指し、人間の連帯を叫んでいるのだろうか。

 

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