高校生の孫が3月の初めにフランスに行く。去年の秋に孫の家にホームスティしたフランス青年との、いわば交歓留学であるが、留学というには短すぎる3週間である。
フランス青年の目は青くハンサムだった。孫は向こうのファミリーになんと思われるのであろうか。
女房はフランスに何度か行っているようだが、私は全く行ったことがない。
フランスという国の、ヨーロッパ大陸における位置ぐらいは大体分かるが、知っている都市の位置づけがまったく見当つかない。知っている都市といっても、パリとかマルセイユくらいである。
ノルマンディがイギリス側の海岸であることは映画で知った。The Longest Dayの、ロバート・ミッチャムが実に格好良かった。
孫の訪問地はモンペリエ。初めて聞く名である。パリから750キロある。
日本で言えば東京から山口。北に向かえば青函トンネルを越えるかもしれない。フランス南部の学園都市らしい。スマホの大雑把な地図で見ると地中海に面し、マルセイユはすぐ隣である。
フランス南部と聞くと、フランスのことを知らなくても、「プロヴァンス地方」という言葉が思い浮かぶ。アルルの女、椿姫の舞台であるからである。
フランス南部と言うより、南フランスといった方がしゃれた言い方になる。
日本には北日本や裏日本という言い方はあるが、南日本という言葉はない。
穏やかな暖かい地中海の気候が孫を迎えてくれることだろう。
日本で言えばプロヴァンスは州名あるいは県名、アルルやマルセイユは市町村名ということでいいのだろうか。
「プロバンスの海と土地」を祖父として孫に語ってあげたいが、しかし高校生にはまだ少し早い話である。
知識もないのにプロバンスという言葉に、なんとも言えない豊かな響を感じるのは、やはりビゼーの旋律のせいであろうか。
絵の世界でプロヴァンス、アルルといえばヴィンセント・ファン・ゴッホ。
晩年の短い期間をアルルで過ごしたが、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」などの代表作のほとんどは、この地で描かれたものであるという。
絵のことは詳しくないが、ゴッホは日本の浮世絵に魅かれた人である。フランスのファミリーは、日本人はまだ着物とちょん髷でいるのではないか、と思っているのではないだろうか。
モンペリエについては何の知識もないから思い浮かぶものはないが、写真で見ると実に美しい町である。
マルセイユに近いというから、ここでもブイヤベースは名物なのだろうか。
妻はマルセイユで食べたことがあるというが、魚のウロコの処理をしないらしい。
名前の意味を知らなければ大層な料理かと思うが、要は漁師の寄せ鍋である。
マルセイユが発祥の地となっているらしいが、発祥というほど大層な料理ではない。
しかしブイヤベースと聞くとやはり鼻腔や胃袋が騒ぐ。あの香りは日本の寄せ鍋にはない。
ここ何年もおいしいブイヤベースを食べていないが、モンペリエで是非ブイヤベースを食べて、孫の口からそのおいしさを聞かせてほしい。
モンペリエではなくマルセイユの話ばかりになってしまうが、孫が南フランスに行くという話を聞いた時、私の頭の中はマルセイユでいっぱいなのである。
エドモン・ダンテスとメルセデスりの物語があるからである。
ダンテスは、彼の幸福と出世を妬んだ友人の讒言により、14年もの間絶海の孤島の牢獄に幽閉されてしまう。
そしてダンテスを信じ、最後まで無実を訴え続けたモレル氏を、自殺と破産から救った港町であった。
借金返済の道をすべて絶たれ、所有する船も沈没し、自殺しようとするモレル氏の耳に、「ファラオン号が帰ってきた」と叫ぶ人々の声が聞こえる。
沈没したはずのファラオン号が新造船となって積み荷を満載し、満帆の帆にまばゆいばかりの陽を浴びてマルセイユ港に入ってくる。
それと同時に、「借金はすべて完済済み」という証書が届く。まさか、どうしてこんなことが。
3ヵ月前、名も名乗らず「船乗りシンドバッドの連絡を待て」、と謎の言葉を残して去っていった人物。もしや彼は、自分が愛し、しかし死んだと聞くエドモン・ダンテスではなかったか。
なんど読んでも感動してしまう部分である。
私が愛した孫が、私が愛した物語の町近くに行く。近い距離だが予定がいっぱいで、マルセイユまで行けないかもしれない。
そうであればとても残念なことであるが、しかしモンペリエも地中海に面した町である。
モンペリエから見る地中海の風景を孫から聞けば、200年も前のダンテスとメルセデス、そしてファラオン号が入港する姿が、思い描けるかもしれない。
ステーキハウスを予約しようと思っていたが、あの店は料理が早すぎる。
フランス帰りの孫の話をゆっくり聞くには、サフランのきいたブイヤベースがいい。しかしこの辺りには店がない。孫が帰ってくるまでに探しておかねば。
久しぶりに病院通いの他に用事ができた。(了)
コメント