ブログを読んで

つぶやき

 この14日に76歳になるが、昨年まで自営の仕事を続け、歳不相応の収入を得ていた。写真を見るたびに歳をとったな、とは思うが、この歳になっても白髪は交じったとはいえ若い頃と同じボリュウームの頭髪を保ち、体も曲がらず、100から7を引く計算は若い人より早かった。スーツはブランド品しか着なかった。

 昨年癌の告知を受けた。持病の脊髄症、狭窄症も悪化した。入退院を繰り返す日々を送ることになり、顧客に迷惑はかけられないと仕事をやめた。いっぺんに周りは静かになり、動きのない生活を送ることになった。

 しかし癌は初期いうことで外科的手術で一応の治療を終え、経過観察は今後続くとしても、今のところ再発とか転移による生命に対する差し迫った危険はない。脊髄症なども手術によってそれ以上の悪化はなく、歩行不能という状態にはならず、スムーズな歩行を得るためのリハビリをしている、という程度である。病気を繰り返した割には元気だ、ということになる。

 暇を持て余し、娘の勧めがあってブログを始めた。しかし高齢者としての実感も薄く、病気によるダメージをほとんど感じることがないから、ブログにそれらしきことが書けない。今のところ高齢者に関することも、病気に関することも、我が胸中を明かす、という文面にならない。

 前稿にも書いたが、他人のブログを読んだことがなかった。たまたまある人の題名に惹かれ読み始めてみた。それを機会に掲載されているブログに目を通すようになった。

 もちろん70歳代の人たちのブログである。皆さんさりげなく70歳を過ぎた人生についていろいろな思いを書かれている。ブログの文章はどうあるべきか、それを教えてくれるような文章が多い。レベルの高さに驚く、と同時に、歳をとることの怖さを、ブログによってより深く知った。

 自分のブログにはあまり悲観的なことは書けない。家族が読んでいるからである。病気や高齢について書けば「誰もが心配していることを口に出して言うもんじゃない」と嫌な顔をされる。元気なうちは楽しい話だけ書いていればいいということになる。しかし私には「書き遺しのこと」という気持ちもある。

 ブログには病気のことよりも、認知症になることを心配される記事を多く見かける。認知症は当人から症状を聞き出すことができないから、本当はどんな病なのか誰にも分からない。しかし、何もかも分からなくなってしまう症状には、言い知れぬ不安がある。認知症は予防できるのか。私の母はボケを恐れて、70歳を過ぎてから新聞の抜き書きや日記をつけていた。80歳を過ぎたころは自分のことが何もできなくなっていた。

 人間生まれるときは誰も共通であるし時期は確定的である。しかし死に方は千差万別であり時期は不確定である。死ぬことの練習はできない。ぶっつけ本番である。突然死より癌のような病気で死んだ方がいいという話もある。こんな話はしたくないし、避けたいと思うが、一笑に付す、という訳にもいかなくなった。

 引退したものの時間と心を持て余している。いろいろブログには書いてきたが、正直、どうしようか、という迷いの域を出ていない。あと1週間で76歳である。四捨五入すれば80歳の世代となる。じたばたせず、天命が許すなら80までの道のりをじっくり味わってみたい。(了)

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