「戦争を知らない子供たち」という歌は、1970年、大阪万博の年に発表された。
社会が「あの戦争はなんだったのか」と考え始めた時だったのか、「あの戦争のことは忘れてしまった」という時だったのか。そんな時代の歌である。
当時この曲を聞いた記憶はない。それから何十年も経って、「懐かしのフォークソング集」というCDで聴くことになる。
戦争が終わって生まれた子供たちが20歳を過ぎて、「戦争を知らない子供たち」を題名にして、あの時代に何を歌ったのか。同じ世代としてそんな関心を持った。
しかし詞もメロディもなんの内容もない歌であった。ちょっと気の利いたことを口にできる若者の思い付きである。「お坊ちゃんフォーク」はこの歌から始まった。
フォークソングと商業音楽との関係を考えていたが、歌声運動や新宿西口地下広場のフォーク集会などから始まったフォークソングは、結局商業音楽に取り込まれることになる。
権力はフォークソングを危険視したとみるべきである。交通違反を理由に徹底的に取り締まった。道路交通法はそのためにある。
日本は戦争放棄、平和主義を掲げるが、「戦争反対」、「平和を守れ」という、デモに参加すると、学生であれば思うような就職ができなくなる。
ギター1本でプロテストソングとして始まったフォークソングは、ビートルズの来日以降のグループサンズに人気を取られるも、お坊ちゃんフォークと言われるカレッジフォークを経て、「二人で行った横丁の風呂屋」、「浴衣のきみはススキのかんざし」といった個人的な歌に向かっていく。
「戦争を知らない子供たち」の歌詞を改めて読んだ。作詞者は私と同年齢で音楽活動後、精神科医師となっている。
何度読んでみても意味も情緒もない。
「戦争を知らない子供たち」で歌われるべきことは、これからも「戦争を知らない子供たち」が生まれてくることである。
あの時代の若者たちは、戦争を知っている大人たちの説教話に反発しただけだったようだ。
すべての人々が戦争を語る経験を持たず、戦争を知らない子供たちが育つ社会でなければいけない。(了)
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