タバコの歴史は思いのほか古い。酒にしてもタバコにしても人類はどうしてこのような味を覚えたのか不思議に思うが、今の言葉で言えば向精神薬。人間生きていくには必要なものであったのかもしれない。
現在は世界中に存在している食物で、原産地が中南米というものが結構多い。アンデス山脈からメキシコの高原地帯にかけて、などという説明を読むと、見たこともない風景が浮かぶ。
タバコがそうであり、嗜好品ではないがジャガイモ、トマト、トウモロコシなどもそうである。
マチュ・ピチュの段々畑ではじゃがいもが栽培されていたという。16世紀あたりにスペイン人がヨーロッパに持ち込んだと言われているが、ジャガイモやトウモロコシなどはヨーロッパ人の主食になった食材である。
このような食材がない時代、辺境の地と言われたヨーロッパの人々は何を食べていたのだろうか。
NHKが何年も前から深夜の空白時間に「世界の食材」という番組を放送する。同じ番組を何度も放送するのである。
この番組でドイツの家庭料理であるファーマーズブレックファーストという料理を私は覚えることになった。ジャガイモ料理である。
ジャガイモを煮てつぶして、焼いたベーコンと絡め、卵でまとめる。農家の朝食である。ピクルスを添えるだけで他の食材はない。家族5人くらいが皿に分けながら食べる。まさに主食にふさわしいシンプルな料理である。
コーヒーも、ブラジルが最大の生産国であるというから南米が原産地かと思っていたが、そうではないらしい。アフリカのエチオペアが原産地らしい。
日本の地から南米を見ると、経済的には豊かな国ではないらしいが、人々は豊かに暮らしているように見える。日本人が勝手に思っているだけで、経済的にも豊かな国なのかもしれない。
タバコの原産地ということから、アヘンもそうなのかと思ったが、アヘンは東南アジアであった。
南米産の食材は人類を救い、人類に繁栄をもたらしたものと言える。インカ帝国は野蛮なスペイン人によって滅ぼされたが、ヨーロッパ人を救うことになった。
タバコが体に良くないことは知っているつもりであったが、分かっていなかった。50年もの間吸い続けてきてタバコの害を発症してしまった。後悔しても始まらない。
酒も好きではないと言いながら飲んできた。酒とタバコは最悪の組み合わせという。それを長年続けてきて無病息災であるわけがない。有難いことに今のところ重複した発症はない。悪運に恵まれたことを感謝しなければならない。
健康に関する情報が日ごとに変わる。酒は適量なら体にいいとされてきたが、しかし最近では酒に適量ということはない、ということになってきた。要するに「とにかく酒はだめだ」ということらしい。
タバコは年齢確認が不愉快で6年ほど前にやめたが、酒は近所のスーパーでフリーパスであるからやめることもない。
仕事をやめたから晩酌は〝やれやれ〟という酒から〝そわそわ〟ということになった。
この歳になって酒はだめと言われても困る。難しい年頃は若いときだけではない。70歳半ば過ぎて80になろうという時期は人生おいて難しい時期である。「ここまで生きてこられたのだから」と思うか、「もう少し生き永らえたい」と思うか、生き様が問われる年齢である。
酒は残った人生を考えるには必要なアイテムなのである。
酒もタバコも少し前まで国の専売であった。国民の必需品を国の専売にして利益を独占する。価格や供給の安定など考えれば悪い事ではない。
しかし今の時代だから思うのかもしれないが、体に悪いものを国が宣伝して売るというのも変な話である。
今の時代専売にしたらいいではないかと思う物がある。スマホである。スマホは今や酒やたばこ以上に国民の必需品である。昨日女房のスマホが壊れて修理に持って行ったが、本当にスマホは生活必需品になったと実感する。
スマホを国の専売にしたらどうだろうか。国民になくてはならないものである。民間の企業がデジタル通信事業によって莫大な収益を上げているが、いずれも新興の企業である。デジタル通信事業というものはそういうものなのであろうが、そんなに簡単に儲かっていいものなのかと、古い人間には疑問しか浮かばない。
健康について考えるつもりで書き始めたが、タバコの原産地などに触れたせいか、行く先はペンに聞いてくれと、とりとめもないことになった。
実はとりとめのない文章を書くことに憧れているのだが、最初からとりとめのないことを書くのはとても難しい。同じとりとめのないことでも、なってしまうものと、とりとめのない文章にするのとでは違う。いつかは最初から最後までとりとめのない文章を書いてみたい。
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