「モノより思い出」という言葉があった。諺でも格言でもない、自動車会社のテレビコマーシャルのキャッチコピーである。
バブル景気が終わって数年、景気が良くならない中で人々の気持ちの隙間にスーッと入ってきた言葉である。
バブル期、人々は物を買うことに夢中になった。私もずいぶん無駄使いをした。物を買うことが手段ではなく目的になっていたような時代であった。
人は思い出に生きることができるだろうか。
思い出に生きると言った男がいた。映画カサブランカでのハンフリー・ボガード扮するリックである。映画のセリフなら意味がない、ということはない。
直訳では「我々にはパリの思い出がある」ということらしいが、「パリの思い出に生きよう」というセリフの方がいい。
この言葉の相手はイングリッド・バークマン扮するイルザである。
この映画は自分を裏切った女との再会がテーマである。しかし女が本当に男を裏切ったのであれば映画にならない。
裏切られたと思っていた女と再会する。裏切りは男の誤解であった。女にはそうしなければならない事情があった。
「あなたはこれからどうして生きていくの」、というイルザの問いに対するリックの答えがあの言葉である。
リックさんはあの当時いくつなのだろうか。40代、50代前半。人生100年の時代ではないが、パリの思い出だけで生きていけるのだろうか。
つまらないことを考えた。映画の役者さんなどは役を通じていろんな人生を経験したことになると思うのだが、思い出に生きるとしたらどんな人生を思い出すのだろうか。
三船敏郎さんは椿三十郎の人生と無法松の松五郎の人生、どっちを思い浮かべるのだろうか。
こんなことを思ったのは、先日テレビですでに亡くなられた役者のドラマが再放送されていたからである。
二枚目であったからいい役ばかりを演じてきた人である。いい役をやってきた人の良さが出ているような気がする。
そういうことでは、あまりいい役に恵まれなかった人の高齢になった時の顔は、失礼な言い方だがなんとなく影がある。勝手な考えだが、映画における役柄も人生の思い出に影響するのではないかと思う。
コマーシャルのコピーから離れて、やはり物より思い出である。
女房が納得したようにそう言う。私との思い出かと思ったがどうもそうではないらしく、外国旅行のことであるらしい。
元気なうちに音楽の関係するヨーロッパの町に行きたいと思っているが、足腰の丈夫との競争である。私はヨーロッパの思い出を持つことはできないかもしれない。
日本は確かにいいだろうが、文化の違いに触れるということは外国に行かなければ経験できない。女房の思い出はそんなところにあるのかもしれない。それで生きていけるというのだから外国旅行は安いものである。
私は何を人生の思い出に生きていくのだろうか。何としても女房を思い出にする人生にはしたくない。外国旅行には行かなかったが、仕事に恵まれ一生懸命働いたことが思い出と言えば思い出である。
食事、洗濯、子育て、何事も女房の世話になった人生であった。
パリ好きな女房がパリの思い出を心から楽しそうに語ることがある。
行ったこともないヨーロッパの街が思い浮かぶ。パリの思い出まで女房の世話になる人生になってしまった。(了)
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