バラが咲いた

つぶやき

 我が家の狭い庭にもバラが満開となった。大輪ではなく比較的小ぶりで、一重のようなバラが家内の好みらしい。

周囲を大輪のバラで埋め尽くした家を見かけるが、それもいい
と言いたいところであるが、やはりあれではうっとうしい。やりすぎである。ポツンポツンと咲くバラの風情がいい。

 きのう近所の奥さんから三寸アヤメをいただいた。私は花のことにはあまり関心がないが紫の花好きである。

図鑑で見れば
紫色の花はたくさんあるのだろうが、私がすぐに思い浮かべることができるのは桔梗である。

 花は華やかなものであるが、紫という色はどう見ても地味である。秋に咲く花であるから地味なのかもしれないが、花を見てワーッと驚くように感激するのもいいが、気持ちが落ち着くような花もいい。

 名所作りのためなのか、やたらと絨毯を敷き詰めたような花の風景をテレビなどで見ることがある。秩父の芝桜。ひたち海浜公園のネモフィラ。ここは秋にはコキアの絶景となる。確かにきれいではあるが人工的すぎる。
 
 何ごとも大きな量であれば人は圧倒される。圧倒的な量は感動にもなる。感動とは意外と意味もなく勢いで感じてしまうものである。名所作りに乗せられたくない、とひねくれ者の私はあの風景を見るたびに思う。
 
 この風景を、人文字のようで好きではないという人がいる。北朝鮮のマスゲームを思い出すというのである。全く同感である。

 創価学会もひと頃は人文字だらけであった。演じている人たちはただ指示の通りボードをひっくり返したり動かしたりするだけで、自分が何をしているのか分からない。
それで演技が終われば「感動しました」というのであるから、集団というものは怖いものである。


 「バラが咲いた」という歌を思い出す。浜口庫之助氏の作詞作曲の歌である。この歌のバラも「小さいバラ」で、「たった一つ」咲いたらしい。

聴いていて
そんなに気になることではなかったが、濁音から始まる歌はタブーとされている。
 確かにいきなり「バ」という発音で始まっては聞き苦しい。

 その印象を避けるため小さいバラで、たった一つ咲いたことにしたのかもしれない。そのせいかうっとうしい感じはしない。

 バラという名前は「いばらの道(いばら)からきているらしい。茨とは棘のある花の総称で、漢字の薔薇は当て字のようである。

「美しい花には棘がある」。
最近あまり耳にしなくなったような気がする。しかし美しい人には酷な言葉である。

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