今年もノーベル文学賞は日本人ではなかった。外国での予想もかなりの確率で予想していたらしいが、そのようにはならなかった。
ノーベル賞の選考会が求める作家のあり方ではないと考えるべきなのかもしれない。
川端康成が文学賞を受賞した時、三島由紀夫も有力な候補者にあがっていたという話がある。本命は三島由紀夫だったという。高名なアメリカの日本文学研究者の話である。
川端は三島に「自分を推してくれ」と頼み、三島は川端に関する推薦文を書いてノーベル財団に送ったとされている。
あれほどの文学者でも、人を差し置いてでも賞が欲しいものであったのか。知りたくない話である。
川端の受賞の2年後、三島は市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺。その2年後川端が自殺。なにか深い闇を見るようだ。
平和賞はイランの女性人権活動家が選ばれた。この人は現在イラン政府によって収監されているようである。
以前にも収監中の人が平和賞を受賞したことがあった。たしか中国の人権活動家であるが、服役中に死亡している。
人権活動というのは政府と対立することであるから、イランにしても中国にしても政府として面白い話ではない。受賞したことによってさらに迫害されるかもしれない。
大分昔のことであるが、佐藤栄作元首相が平和賞を受賞した。果たして妥当な受賞だったのだろうか。
この受賞は平和賞の権威を失墜させるものであったといわれている。私も同感である。
日本のある宗教団体の会長という人は、平和賞を欲しがったらしい。多額のリベートを払ってゴルバチョフに会いに行ったという話が残っている。
政治家ならうしろを向いて舌を出しながら受賞するだろうが、宗教家たるもの、外国からの権威付けなど不要と言う方が立派だと思うが、そういう人ではなかったようだ。
どうも平和賞というのは不確かなもののような気がする。評価に政治が絡むからかもしれない。
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