ノーベル平和賞とドラえもん

つぶやき

 今年のノーベル平和賞は、日本の原爆被害者の団体に決まったらしい。
 「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきた」ことが受賞の理由だそうである。

 日本の平和賞は佐藤栄作氏以来だが、この時はノーベル平和賞の存在意義に疑いがもたれた。佐藤氏が平和に貢献したなど、日本人は誰も思っていないからである。

 毎年ノーベル賞というと、村上春樹という作家が話題になったが、今年はなんの騒ぎもないうちに、韓国の女性作家が文学賞を受賞して、村上春樹氏を思い出した。村上春樹氏の作品を読んだことがないから、何も言うべきではない。

 大山のぶ代さんが亡くなった。70代の頃に脳梗塞をおこし、その後認知症を発症していた。脳梗塞をやると認知症になりやすいらしい。90歳だった。

 看病していた夫の砂川啓介さんはガンを発症し、だいぶ前に亡くなられている。妻より先に死ぬわけにはいかないと言っていた。この世には神も仏もない。

 大山さんがドラえもんの声を初めて演じたとき、原作者である藤子・F・不二雄氏は、「ドラえもんはこういう声だったんですね」と、大山さんに言ったという。これほどの誉め言葉はない。

 不愉快な話になるが、国会は解散となり、連日新聞は自民党の公認問題を追っている。

 杉田水脈議員は公認を辞退したらしい。
 この人は社会的に非常識なことを発言し行動することが保守であると思っているようである。表情に悪さがある。こういう人を国会議員にしてはいけない。

 「こういう人がこういう仕事をしてはいけない」、ということだらけであるのが世の中である。
人がやりたいことを止めることはできないからそういうことになる。
世の中は防ぎようのないことばかりである。

 しかし、一国の元総理大臣がなんの防御壁もなく、街頭で何かの踏み台に上がりながら演説をしているときに、手製の銃を持った男に射殺されたのである。

 元総理大臣の死は国葬をもって行われたが、世間は単なる殺人事件の被害者としてしか見ていなかったようである。「それ以外に何がある」、と突っ込まれたら、確かにそれ以外のものはない。

 その元首相が率いた派閥なるものが金にまつわる事件を起こし、元首相の反対勢力が権力を握ったことにより、壊滅の憂き目にあっている。こんなことの繰り返しが日本の政治である。
 日本には向かう先があるのだろうか。

 今宵は朦朧とした頭にいいメロディが浮かばない。昼間、車の中で聞いたデュエット特集という歌番組の何曲かが、聞くに堪えない曲であった。

 黒の絵の具をグレーにするにはたくさんの白を要するが、白をグレーにするには1滴の黒でいい。そんなことを思う秋の夜である。

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