トンビがくるりと輪をかいた

つぶやき

 先週の土曜日に隅田川花火大会が開催されたらしい。100万人近い人出で、人の熱気で夜でも熱中症は起きるとニュースは伝えていた。

 外国人の姿が目立った。カメラが外国人を追っていたのかもしれない。
 ビジャブというらしいが、顔に頭巾を被った女性がインタビューを受けていた。外国人問題があるが、思わず日本の花火を楽しんでほしいという気になる。

 昔は両国花火大会と言っていたはずである。子供の頃両国の隣町に住んでいたから、家を出て京葉道路を左に向けば花火が上がっていた。しかし間近で見たことは一度もなかった。

 息子が学生時代に遊びクラブの仲間たちと見に行ったことがある。あの息子がよく花火大会のことを知っていたものだと意外であったが、隅田川花火大会はメジャー中のメジャー。両国花火大会以上のイベントになっていたようだ。

 今の花火大会は両国橋の少し上流の、駒形橋や厩橋付近で行われるらしい。今は東京の郊外に住んでいるが、かつて東京の下町で暮らしていた者として懐かしい名称である。

 今朝というのか深夜というのか、いつもの深夜ラジオで三橋美智也の「夕焼けトンビ」を聞く。
 ♬夕焼け空が マッカッカ とんびがくるりと 輪をかいた ホーイのホイ♬

 この歌を聴くとあの下町を思い出す。ネットで歌詞を検索してみると、見覚えのある集合写真が写っていた。

 私が小学校に入学したときの集合写真と全く同じである。あの時代、どこの学校でも同じような顔をした生徒と先生と校舎が写っている。おもわず家内を呼んでしまった。家内は小学校の同級生である。

 私がすごした下町はトンビが飛ぶようなところではない。戦後の焼け野原の痕跡がそこら中に残っていた。

 しかし原っぱで目いっぱい遊んで、おふくろの“ごはんだヨ、という声を聴くときは、工場のこぎり屋根は夕陽に真っ赤に染まっていた。
 この歌はあの夕陽と重なり、幼き日の心に残る歌なのである。
 
 下町の家は叔母の家の居候であるが、叔母は区画整理事業による転居先を断って、高田馬場に引っ越しすることに決めていた。子供心にも住み慣れた地を離れ、遊び友達とも会えなくなる寂しさをこの歌と共に感じていたのである。

 ところがこの歌は、昭和33年に発表された歌であることを知ることになった。その年、私はすでに高田馬場の小学校に転校していて6年生になっていた。転校したのは昭和31年4年生の時。

 昭和33年に発表されたのであれば、東京下町の夕陽の中でこの歌を聴くことはありえないということになる。引っ越し先の高田馬場で聞いたという記憶は全くない。

 記憶とは不確かなもものだとしてはロマンがない。あの夕焼けと、見てもいないトンビの思い出は、あの原っぱのことであったのはまちがいのないことなのである。

 

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