芸能人というものは、人にちやほやされるものであり、ときには下世話な話や批判中傷の的になるものでもある。
私は人の好き嫌いが多く、それを口にしてしまうが、芸能人を相手に人物評など考えるのも、どこにも差し障りがなく、いい暇つぶしになる。
芸能人は、人気があれば騒がれ、人気がなくなれば一晩で忘れ去られるものであることは宿命である。私はどうも芸人を褒めることよりも、悪口を書くのが好きである。
クレージークレージーキャッツの最後のメンバーだったという犬塚弘さんが亡くなった。94歳というから長命である。なんとなくおとなしい人であった。
芸能人で突然亡くなってしまったという人がいる。クレージーキャッツのリーダーであったハナ肇さんがそうであったような気がする。「なんで、どうしてまた」、という印象でテレビからいなくなってしまった。
突然いなくなったという印象の一番強い人は三波伸介さんではないだろうか。笑点の司会などもやり、人気絶頂のときだった。
ハナさんは63歳。三波さんは52歳であった。そんなに若かったのだ。
どの芸能人の死が印象に強く残るか。ということは、自分の関心の所在を示すことになる。
夏目雅子さんとか尾崎豊さんといった人の訃報は大変な騒ぎとなったが、私には良く分からなかった。
夏目雅子さんの夫と言う人は伊集院静さんだったらしいが、私はあまり好きな人ではない。あんな若い美人を女房にするような男である。いい人であるはずがない。
志村けんさんがコロナで亡くなったことは大きなニュースであった。「志村けんさんの死亡は都民にいい教訓になる」と発言をした都知事が批判にさらされた。私はこの女性も大嫌いである。
しかし彼女の言う通りでもある。志村さんには申し訳ないが、コロナが死に至る危険な感染症であることを、当代一のコメディアンが示してくれた。都知事があのように言うのを批判しきれるものでもないが言い方がまずい。感謝すべきであった。
志村けんさんは、戦後最も人気のあったコメディアンである、と言われるが、そうかもしれない。ただ私は、志村さんは素顔でのコメディができなかった人ではなかったか、と思うのである。なぜか。彼は二枚目なのである。そういうことでは加藤茶もそうであるが、彼には愛嬌があった。
志村さんはひげをつけたり、顔をまっ白に塗りたくったりしなければ面白いコメディアンになれなかった。二枚目であったから、それを隠さないと庶民に受けなかった。
バカ殿は彼の人気作かもしれないが、彼の本意とするところではなかったのではないか、と推察している。
バカを演じて一流のコメディアンになった人は、本当の喜劇をやりたいという。
志村さんも、顔を塗りたくって笑いをとるようなものではなく、素顔のままの喜劇をやりたかったのではないだろうか。
テレビでしか見ることのない芸能人であるから面識があるはずもないが、親戚より顔を見る機会が多い。
人のいろいろな表情を知っているということでは親戚以上の付き合いということも言えるから、芸能人の死には関心を持つことになる。
芸能人の死は、時代とそこに生きた自分を思い出させてくれるものである。(了)
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