テレビは見るものではなく、つけておくものである。特に年寄り世帯は習慣的に朝から寝るまでつけっぱなしである。
高齢者はテレビに人心地を感じるものらしい。
昔はテレビはかじりついて見るものであったが、今は時計代わりである。
ビデオやDVDの登場によりテレビは衰退するのではないかと言われた時期があったが、そんなことはなかったようだ。
1億総白痴化とはテレビの低俗性を指摘した言葉である。
調べてみて驚いたが、この言葉が登場したのは今から60年以上も前のことである。
テレビ放送が開始されてわずか数年後には、低俗番組の弊害が新聞などで問題にされていたことになる。
そんな批判を受けてきたテレビであるが、それから変わったのであろうか。
番組が低俗であるということは今も変わらない。今の方が低俗番組は多いかもしれない。
1億が総白痴になるようなことはなかったと思うが、著名な評論家が1億総白痴という挑発的な言葉でテレビの弊害を指摘した。
受動的に、ただ映像を眺め、音声を聞くのでは馬鹿になるということである。
日本人が政治における不祥事をすぐに忘れてしまうのはテレビのせいだ、と私は考えている。
民放は広告収入で成り立つ企業である。そのことを忘れてCMのあまりの多さに腹を立ててしまう。見たくなければ見なけれゃいい。そのとおりである。視聴率さえ取れればなんでもいいのがテレビである。
テレビは世相を映すもの、なんでもあり、の世界なのであろう。新宿2丁目あたりのゲイニンがここ何年もテレビを闊歩している。あのデカ顔はそろそろ退場してほしい。
NHKの受信契約、受信料には言いたいことが山ほどあるが、ここではやめておく。一言だけ言えば、どんな言い回しをしても受信契約は契約法の法理に反している。
NHKを取り上げたからではないが、報道の公平いうのが気になる。
「国葬に賛成です。安倍さんのお陰です」
「国葬に反対です。安倍さんは悪いことばかりしていました」
これで公平な放送をしたことになる。視聴者を馬鹿にしている。
話はすこし変わるが、NHKに在職していた女性アナウンサーが退職した。
その理由は、インタビューするのが嫌になった、ということであった。だいぶ前のことである。この話に私はすごく共感した。
テレビを見ていて気になるのはタケシとタモリである。二人とも、どうしていつまでもテレビに出ているのだろうかと不思議でならない。
タケシは刑事事件まで起こした人間である。確かに出たての頃の漫才は斬新で面白かったが、その後どんな芸があるというのだろうか。訳の分からないことをくちばしるだけである。
タモリもどんな芸を持っていたのかはっきりしない人である。そもそも芸人なのか、ということがはっきりしない。
しかし彼には節度があるように思う。そのせいかタケシほどの不快感はない。
「みちのくひとり旅」という歌謡曲のリフレ―ンが堪えられないと言う。正常な音楽センスを持っている人らしい。
爆笑問題の太田という芸人。この男はどうしようもない。こういう芸人は本当に消えてほしい。あのしたり顔が我慢ならない。
芸人はバカを装うことはあっても利口は隠したものだ。この芸人はバカなのに利口なふりをしている。こんな芸人がどうして自分の事務所を構えることができるのか。いい加減にしてもらいたい。
嫌な芸人を見たくなければテレビを見なければいいのだが、チャンネルを変えるほんの数秒の間に、彼らの悪性が伝わってくる。それだけタチが悪いのである(了)
コメント