国鉄分割民営化が行われた当時、電車の運転士として勤務していた村山良三さん(85歳)という人が、民営化前後に体験したことを本にして出版した、という記事を読む。
国鉄分割民営化は中曽根政権が1987年に行ったものだが、日本国有鉄道という公共企業体を地域ごとに分割して、民営化とするものであった。
そのJR各社は同年4月に発足し、11月に中曽根首相は、自民党総裁任期満了により辞任している。
国鉄分割民営化に至る経緯には、積年の国鉄赤字があげられるが、それ以上に中曽根首相の腹にあったのは、国鉄労働組合の解体であったようだ。
労組員のJRへの再雇用については、いろいろ報道がなされたことがあるが、詳しい実態に関しては、メディアは沈黙したような感があった。
あるルポライターは、中曽根政権が行った国鉄民営化は、国有財産を民間資本に横流しするクーデターだったと指弾し、抵抗した労組に「国策集団虐待」がなされたと断じている。
村山さんの記すところによれば、労組の若いリーダーは、「人材活用センター」へ送られ、上半身裸になって廃材を切る肉体労働を強いられた。「収容所」「見せしめ」という形容が言い表しているという。
村山さんは運転士を外され、草むしりやトイレ掃除、改札業務などを担う「要員機動センター」に配属された。朝礼の度に「国労のバッジをはずせ」とたびたび叱責を受けたという。残党狩りのように、執拗で陰険な嫌がらせがなされたようだ。
ストライキは、会社だけではなく、国民にも迷惑をかけるものである、ということを高校の社会科で習ったことがある。
国民に迷惑をかけてはいけないということではなく、かけるべきものであるということである。そうであるから労働組合は会社と対等な立場に立てる、という教師の説明であった。
70年代、国鉄労組の順法闘争、スト権ストに対して国民は怒りを表した。
国鉄民営化の強行は、この国民の声を逆手に取ったものである。
昨年8月の西武デパートのストライキでは人々は労組に「がんばって」とエールを送った。学生などは「後学のために見物に来ました」と言っている。
ストライキの意味は国民に理解されず、その姿を変えたようだ。
連合の定期大会に岸田首相が出席し、吉野会長は自民党に寄り添って実績をあげようとしているかのようである。何のための労働者団体か。
労働者の立場からとは言わないが、国民の立場から国を考える勢力があってしかるべきと思うが、国鉄解体後どうもまとまらない。
反対勢力のない社会はブレーキの効かない車である。
「あぶない、あぶない」と言って逃げていた女性がいたが、本当にあぶないのである。
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