はしだのりひことシューベルツが歌った「風」という歌は1969年 (昭和44年)。かぐや姫が歌った「神田川」は1973年(昭和48年)であった。
「風」が流行った時、私は夜間大学の4年生。このまま印刷会社で職工を続けるかどうしようかと迷っていた時代である。
「神田川」が流行った時は結婚して2年目。津田沼の安アパートでこの曲を聴いた記憶が鮮明にある。
わずか4年の間に、将来に迷い、女房と知り合い、結婚して共稼ぎの生活をしていたことになる。
私は日本のフォーク世代ということになるが、フォークソングと言われる歌を流行った時に聴いたのはこの2曲くらいである。
吉田拓郎という人は私と同世代であるが、活躍していた当時全く知らなかった。
フォークソソングを聞くようになったのは40歳をすぎてから。車を買ってカーオーディオで懐メロやフォークソングを聞いた。
当時CDの時代になっていたが、もっぱらラジオ番組をカセットテープに録音して聞いていた。
「岬めぐり」とか「花嫁」とか「翼をください」、などという曲を知ることになったのは車の中である。
先日深夜ラジオで石川鷹彦と吉川忠英という人の特集があった。始めて聴く名である。何者なのかと思う。
お二人ともアコースティックギタリストであり、作曲家、編曲家、スタジオミュージシャン、プロデューサーなどをされていた。60年代から80年代、日本のフォークソングの隆盛を支えてきた人達ということらしい。
石川氏は1943年生まれ。多摩美術大学卒業。吉川氏は1947年生まれ。慶應義塾卒業。二人には深い交流があるようだ。
ともかくこの二人が関わった曲がすごい。曲目をいちいちあげるのも面倒だが、「22歳の別れ」も彼らの手によると言えば充分であろう。あの時代のフォークソングのほとんどすべてに、編曲や演奏において関わっていた人である。
しかしそのことに関心があるわけではない。一人は美大、もう一人は慶應経済学部。吉川氏は大学卒業後、明治生命に就職するが、半年で退職し音楽の世界に入る。明治生命と言えば三菱の本流。それを捨てる。
音楽というものがまだあやふやな時代であった。音楽で食べていくことは難しい。私と同世代の人が、ギター1本に人生を賭けていた。
あの時代、素晴らしい才能と覚悟によって、音楽の世界が切り開かれていったのだな、と改めて教えられた。
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