勝てっこない、という相手に勝ってしまった。もちろんサッカースペイン戦である。
ドイツ戦のときも奇跡が起きたと言われた。なにより森保監督にご苦労さん、と言ってあげたい。
勝てば名将負ければ愚将である。負けたら何を言われるか分からない、というのが今の日本の社会。
ベスト8に入ったわけではないが、決勝リーグ進出となればファンも納得する。あのポイチさんが雄弁に語るのを見るのは楽しいが、負けたときの悲しげな顔を見るのはつらかった。
私はサッカーに限らず普段スポーツ中継を見ることはほとんどない。しかしワールドカップとなると多少気になる。
やはり日本が勝てば気分がいい。日本が負ければそれを気にしなくなるのに4、5日かかる。
以前サッカー好きの知人に、サッカーのどこが面白いのか、と尋ねたことがある。なかなか点が入らないからいいのだと彼は言う。
確かに堂安選手の同点シュートは感動的である。あの白く長い軌跡は、湖面を滑空する白鳥のように美しい。
Jリーグが発足した時、はたしてサッカーは野球のように定着するだろうか、ということが話題となった。
風呂上りにビールでも飲みながら、のんびりと観戦できるから野球はお父さんたちの間に定着した。
それに比べてサッカーはあまりにも忙しいスポーツではないか、目が離せない、というのである。
TVコマーシャルに関する話もあったような気がする。前半45分、後半が45分が始まれば途中にCMを入れるわけにもいかない。
サッカー中継はあまりコマーシャル収入を期待できないのではないか、というつまらない話である。
子供の頃サッカーで遊んだという記憶はない。あの頃のボール遊びといえば野球とドッジボールであった。
ボール1つあれば遊べるのに、どうしてサッカーは子供たちに浸透しなかったのであろうか。
ブラジルなどはまさにこのことがサッカー王国となった元である。路地裏でのボール遊びが世界で通用するサッカー選手を生んだのである。
しかし日本の子供が野球をやっていたといっても、誰もがバットやグローブを買えたわけではない。バットは棒切れ、グローブは無しの野球をやっていたのである。
母が丈夫な布に綿を入れてグローブを作ってくれたことがあった。それを見て一緒に遊んでいた友達だけではなく通りかかった近所のおっさんまでが笑ったのを覚えている。
多分本物のグローブのように上手に作ってあったからみんな笑ったのだと思う。
孫の保育園の卒園式で男の子のほとんどが、「将来の夢はサッカー選手になることです」、と挨拶していた。日本のサッカーが強くなるのはもう間近である。
日本でのサッカーの歴史は思っていたより古い。明治時代にはすでに入っていて軍隊の教練に活用したらしい。
サッカーやラグビーなどのスポーツは戦闘を思わせるものがある。敵陣に攻め入り、いわば占拠することが目的である。平和時に兵士を鍛える格好のスポーツとされたらしい。
高校のときの数学の先生は陸軍士官学校の出身だった。まだ40歳前だったと思うが頭髪が見事に無かった。
その理由を生徒に言いたかったのか、士官学校でサッカーをやっていたからこうなったと言っていた。
そうか、サッカーは頭でボールをはね返すからそういうことになるのか、と納得した。
しかしサッカー選手を引退してそれなりの年齢になった人を見ても、あまりそのような頭部の状態の人を見かけない。
若い頃はサッカーをやっていた、という人を初めて知ったのがこの先生だった。以来サッカーと頭髪が気になるようになった。
日本サッカーは苦戦といわれた2試合に勝った。グループ1位である。
スポーツは勝つことである。勝たなければ何の意味もない。
どこかの国では、オウンゴールしてしまった選手は命の危険があり国に帰れないという。日本はそんなことはないが、大変なプレッシャーを感じながら選手たちはプレーしているのだろう。
これからのことはこれからのこととして、グループリーグでドイツやスペインにいずれも逆転勝ちしたことを、いつまでも選手たちのために覚えていてあげたいと思う、と言いながら、ドイツ戦をどう逆転したのか、思い出せないのである。
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