コマーシャル社会

つぶやき

 ブログというものがどういうものなのか、正直言って良く分かっていない。
 私的なものとしていいのか、公的なものになるのか。人の悪口を言っていいのか、悪いのか。

 人の悪口はすでに何回も書いてきたから、今さらとやかく言っても始まらないが、政治や宗教などにあまり過激な発言はしない方がいい、などと言われると、何に気を使わなければいけないのだろうか、と少々考えてしまう。

 ブログは日記とは違い人の目に触れるものであるから、それなりの配慮は必要だ、ということになるのだろうが、ではブログ と本の出版とはどう違うのであろうか。同じように出版妨害とか名誉棄損などということが起こるのかもしれない。

 インターネットに関することは危険なことが多いらしい。便利さを喜んでいるうちに詐欺にあうことにもなるし、見知らぬ人からの中傷、攻撃もあるのかもしれない。
 このところメールにフィッシングと言うのか、かなりの数のそれらしきメールが送信されている。不愉快な時代である。

 大分前から既成の概念とは違った主張が、ちょっとした知識人と呼ばれるような人からなされている。
 「友人はいないほうがいい」「人間は孤独である」「家族は他人である」「親からの決別」等々。

 人々がそれとなく「そうかもしれないな」と思っていたことである。
 きのうの新聞には「文豪たちの悪口本」と題する本の広告が載っていた。

 〝文豪たちは悪口もすごかった〟と人の興味をそそるようなサブタイトルも載っている。「青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」は中原中也。「僕はこの手紙を、君に恥をかかせるつもりで書いた」は谷崎潤一郎の言葉として引用している。

 さすがに中也は詩人だけのことはあってうまい表現をする。谷崎の言葉は悪口になるのだろうが、手紙の切り口として格好いい表現ではないかと私は思う。悪口こそ人生、とは言わないまでも、悪口はこれからメジャーになるかもしれない。

 今回のブログに書きたかったことは相変わらずひどいテレビコマーシャルのことである。このブログで何度も言っているが、やはりひどいものだと思う。古い着物を買い取るという会社のCMを見かけるが、あの歌はひどい。
 子供たちが「高く高く売れるよう」と歌う。それも音楽になっていない。こんな言葉を子供たちに歌わせていいものだろうか。

 どんな古着でも高く買い取ると思わせるCMであるが、古着など高く買い取ることなどあり得ないと私は思っている。
 オフィスの事務機器を販売する会社のCMもひどい。ダジャレを流しているだけである。

 コマ―シャルと言うものは会社自体や商品を説明宣伝するものである。奇をてらったものにする必要は全くないと思うが、目立ってこその、面白がられてこそのコマ―シャルということになれば歯止めがきかない。
 内容のないコマ―シャルは、宣伝する会社自体になんの理念もないことを表しているようなものである。

 物を作る会社には責任というものがあるようだが、単にモノを販売する会社にはモラルが育たないのかもしれない。

 以前にも書いたことだが、有名な映画俳優とかテレビタレントのCM出演というものは、見る者に思い込みをさせることが目的である。
 あの人が宣伝しているのだから間違いない、あの人が宣伝しているのだからきっとおいしい。有名人の出演と宣伝内容にはなんの関連もない。

 なぜこのことが広告倫理審査会とやらで問題として取り上げられないのだろうか。それこそそれを問題にしたら社会が変わってしまう、ということなのだろうか。

 個人のブログにもCMが入るらしい。私にはあまり理解できることではないがそれを批判する気はない。
 そうであるなら個人が着ている服や靴などに宣伝文句を載せてもいいことになるのではないか。

靴などにはメーカーのロゴが入っているが、これはメーカーの宣伝とともに履く人のステータスになっているようだ。
そんなことを考えていたら、すでに人間の体は広告だらけであることに気がついた。

 スポーツ選手のスポーツウエアは宣伝だらけではないか。マラソン選手のゼッケンにはどこに何が書いてあるのか分からないくらいいろんな宣伝文字が組み込まれている。
 スポーツウエアのことではないが、スキーの選手などはテレビに映るときは必ずスキーに書いてある住宅メーカーの字が読めるように立てかけている。

 テレビに映るということやはりすごい効果があるのだろう。
 余談だが、NHKの相撲放送では懸賞幕が土俵を回るときカメラがずっーと引く。映らないようにしているのである。

 昔サンドイッチマンという仕事があった。若い人は漫才タレントと思うかもしれないがそうではない。看板を2枚、体の前と後ろにくくりつけて町を歩くのである。戦後間もない頃の話である。
 おもにパチンコ屋の宣伝に使ったようである。それでも結構目立ったもので、宣伝効果は大きいものだった。

 高齢者の老後資金を得るため、これからは洋服などに宣伝文句をつけて町を歩いたり電車に乗ったりしたらどうだろうか。
ブログに金を払って広告を出すというのだから、媒体料として企業などに払ってもらえばいい収入になる。

 高齢者は老後資金が足りないとされている。ウォーキングをしている間に広告料が入れば一石二鳥である。
 この広告媒体は団塊の世代だけで数百万人いる。真剣に考える価値はあると思うのだが。(了)

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