グランド坂

つぶやき

 東京は坂の多い町である。名前の付いた坂だけでも1000近いほどあるという。もともと台地と低地がいくつも入り組んだ地形で、低地は大昔は海であったらしい。

 東京23区に限って坂の地図を見てみると、港区、新宿区、文京区の3区で全数の5割近くを占めている。中央区、江東区、墨田区などにはほとんど坂はない。この地域は扇状地ということであろう。

 台地と低地が接すところが坂ということになるから、地形からして東京に坂が多いのは当然ということになる。

 余談だが江戸の町には井戸がなかった。江戸市中というのはそのほとんどが低地のため海水が地中に入り込み、地下水は塩分が多く飲めなかったからである。

 井戸端会議というが、あれは地下水の井戸ではなく、木で作った水道管を地下に張り巡らし、要所に設置した桝に水を貯め、それを汲み上げていたのである。
 江戸時代、江戸の町は世界の先端を行く近代都市だったのである。玉川上水を作ったのも江戸の発展とともに水の需要が増えたためである。
 江戸っ子は井戸水ではなく、水道水で産湯を使ったことが自慢であったらしい。

 坂道に名前を付けることは古くからあったようである。坂の近くにある施設とか、その付近で起きた出来事や住んでいた人に因んで名をつけることになる。
 道玄坂、神楽坂、九段坂、幽霊坂などはそういうことであろう。坂の名は往来の目印になっていたのではないかと思う。

 ほとんどの坂の名は江戸時代に付けられたものと思うが、このところよく耳にする乃木坂は明治の乃木将軍に因んだ名である。
 スペイン坂とかサカス坂というのはそれこそ最近つけられたのであろう。

 坂の名は昔からあるもので、勝手に付けてはいけないものだと思い込んでいたが、考えてみればどうにでもできることである。

 私にとって坂と言うとグランド坂ということになる。家から中学に通う通学路であった。
 グランド坂を試しにウィキペディアで検索してみると、東京新宿の早稲田大学キャンパスに接する坂のことが多数掲載されている。

 掲載内容を最後まで見なかったが、他に掲載されていたのは広島県安芸郡にある中国電力坂グラウンドと称するものだけのようであった。
 ということであれば早稲田大学キャンパスに接するグランド坂は、ほぼ固有名詞ということになる。私の言うグランド坂はこの早稲田大学キャンパスに接するグランド坂のことである。

 しかし現地には坂の周囲にグランドはない。坂の両サイドは早稲田大学の校舎である。現在からみれば不思議な名称ということになるが、不思議でもなんでもなく、以前この地に野球のグランドがあったのである。

 高田馬場駅を背にして、早稲田通りをまっすぐ早稲田大学方面に向かい、明治通りを横切ってそのまま進むと、道は左右二手に分かれる。
 左手は新目白通り出て飯田橋に向かう道、右手は神楽坂方面。グランド坂は左手に折れ、新目白通りに出るくだり坂のことである。
 現在、早稲田大学総合学術情報センターになっている場所は、昔安部球場と呼ばれる野球場があったところである。

 この野球場は当初は戸塚球場と言い、後年安部球場という名称に変更した。
 戸塚はこのグランドがある地名の旧称であり(現在は西早稲田1丁目)、安部は早稲田大学の教授で、早稲田の野球部創立者である安部磯雄の功績を記念したものである。

 明治35年に設置され、昭和62年頃まであったそうである。
 ナイター設備も設置した本格的な野球場であり、当初は大学野球のメッカとして、明治神宮の野球場が登場するまで日本の野球の中心的存在であったらしい。

 中学校からの帰り、野球部の練習をよく見物していた。後にプロの選手になった巨人の木次文夫、中日の森徹などを私は見ていたことになる。懐かしい名前である。

 早稲田大学は、扇の形に例えると、扇を開いた親骨の左側がグランド坂、右側が八幡坂という2つの坂に挟まれた扇面にあることになる。
 扇の要は早稲田通りの高台ということになるから、その要(かなめ)部分にある裏門から構内に入ったとすれば、正門に向かって敷地は緩やかな下り坂となり、大隈講堂は一番低いところに位置することになる。

 大隈侯の銅像は正門から奥まったところにあるから、大隈侯は高台から大隈講堂を眺めていることになる。

 早稲田大学は大学経営ということに関して早くから熱心に取り組んできたような感がある。
 昭和40年代の前から戸山キャンパス(文学部)、西早稲田キャンパス(理工学部)を建設し、近隣の買収、神社の移転まで行って早稲田キャンパスも広げていった。

 創立者である大隈重信の屋敷であったという大隈庭園にはホテルが建設されている。
 土地信託方式によるものということだから、土地を売ったわけではないようだ。これも大学経営の一環なのであろう。
 早稲田の地を離れて埼玉県所沢市にもキャンバスを広げ学部を増設している。

 私立大学の学生数は日本大学に次いで2位である。1位の日大は69,000人とさすがに断トツであるが、早稲田は45,000人。3位の立命館は36,000人であるから早稲田の学生数はかなり多いことになる。(令和4年の調査というネット記事による)

 大学案内がこの稿の目的ではなかった。グランド坂のことであった。

 坂下には新目白通りにぶつかる手前20メートルくらいのところに、グランド坂下商店街と大隈通り商店街という2つの商店街が左右にある。

 大隈通りは大隈講堂に通じる商店街である。いずれも昔から商店街というほど賑やかな通りではない。

 私が母と暮らしたアパートは大隈通り商店街の中ほどにあった。昔から学生街で発展した街はない。せいぜい食堂、麻雀屋、ビリヤード屋くらいなものである。

 グランド坂は全長200mを超える結構長い坂であるが、両サイドは昔から塀だけの商店も何もないさみしい通りである。
 早稲田の学生になったとしてもこの坂を横切ることはあっても登ることも下ることもないだろう。今でもあまり人が歩く姿を見ることはない。人には利用頻度の高い道ではない。

 坂道は人生に例えられる。登り坂は艱難辛苦の上の成功を意味することがあり、下り坂はまさに転げ落ちると言うように人生の凋落を意味する。

 母はこの坂を歩いて坂上にある会社の食堂で働いていた。母は帰り道、姉が嫁いでからの寂しさに、この坂を通るたび泣いたという。

 長い下り坂は自分の意志に関係なく体が動くので、人は坂に身を任せていろいろ思いを巡らすことになる。
下り坂ではあまりいいことは思い浮かばない。つらいことがあった時は登り坂を歩いたほうがいい。(了)

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