「事件がなければ黒沢は映画を作れない」、というようなことを小津監督は言ったらしい。私も掲載している日本ブログ村の、どなたかのブログで知ったことである。
事件を描くことは難しいことではない。起承転結があるからである。
とりとめもない平凡な日常を描くことは難しいかもしれない。
起承転結の映画は高揚感で終わるが、日常を描いた映画は、しばし感慨にふけることで終わる。もちろんどっちがいいということではない。
小津監督の映画に特に関心があるわけではないが、この言葉を知って、小津映画の単調さの意図するものが分かったような気になった。
本人が言った言葉だと思うが、誰かの創作かもしれない。
この2,3日、テレビドラマ「相棒」の特別版が再放送されていた。いつも筋立てが混み入っているので、暇は持て余している身であるが、2時間近くも筋を追うことが面倒で見ることはなかった。
相棒にはうまくいろいろなキャラクターが配されているが、すべて杉下右京を際立たせるために存在しているようなものである。
寺脇康文さん扮する亀山薫は愛すべきキャラクターであるが主体性がない。右京の後をただなぞるだけである。この役柄に甘んじているようでは、寺脇さんは役者として伸びないかもしれない。
ドラマというものは、登場人物全員が主体性を持ったら成立しないものと思われるが、小津監督の作品にはそれがあるような気がする。意図が無いように見えて意図だらけなのかもしれない。(了)
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