オーケストラ雑談

音楽

 日本にいくつオーケストラがあるのか知らないが、東京には9つのオーケストラがあるという。

 ここでオーケストラと言うのは、クラシック音楽の交響曲とか協奏曲を演奏する管弦楽団または交響楽団のことである。

 ジャズなどにもフルバンドオーケストラという言い方をするが、この稿ではクラシック音楽のオーケストラ(以後場合によってオケという)に限ることになる。

 管弦楽団と交響楽団に違いがあるのかというと、外国のオケの日本語の訳から生じた違いらしい。どっちの名称をつけるかというだけのことで何の違いもないようだ。

 東京に9つのオケがあることはどういうことなのか。いろいろな感想に分かれる。
 「そんなにあるの、すごいな」から「クラシック音楽を聴く人がそんなにいるかな」、そして「食べていけるのかな」というのは多少オケの知識のある人である。

 東京の人口は現在1400万人だそうである。音楽の都ウィーンは190万人、ベルリンは370万人。

 ウィーンには7つくらいのオケがある。ベルリンには10以上ある。ただしこれらの数には東京と違って、古楽器オケや室内オケを含んでいる。

 人口比からすると東京のオケは多いということは言えない。むしろ少ないと言ってもいいことになる。

 上記のことから東京のオケは特に多いということはないが、実質的にはやはり多い。そんなに需要があるとも思えない。当然のことながら音楽に関する社会的基盤がウィーンなどとは全く異なるからである。聴衆の数が圧倒的に少ない。

 クラシック音楽は決して難解なものではないが、暗くて、理屈っぽいという評価が日本では定着したようである。しかし人数は少ないとはいえ、聴衆の質は世界一ではないかと言う人もいる。

 オーケストラは低迷しているのかいないのかと言えば2つに分かれる。健全経営と零細経営である。

 健全経営と言っても設立母体の支援とか公共団体の助成ということがあってのことである。これらの支援がなければまたたくまに破綻である。過去に何度もそういうことがあった。オケは自らの力だけでは存続できない組織である。

 東京の9つのオケのうちいわゆるスポンサーなるものが存在するオケは3つである。他は自主運営ということになる。何事においても自主運営でうまくいったという話はあまり聞かない。

 オケは、今でこそ女性奏者は多いが、かつては女人禁制であった。最近の日本のオケは女性ばかりである。特に弦楽器は女性によって占められている。音楽大学の学生の男女比がそのまま表れているようである。

 しかし男がうまいということではない。女性のほうが楽器演奏にかけてはうまいと言われている。

 しかし昔のオケを知っている者としてはどうしても違和感がある。バイオリンからビオラあたりまで全員女性というオケもある。舞台の景色が違うのである。

 食べていけないオケを新設したり、オケに入団するのはどういうことなのかと言えば、音楽に対する情熱ということであろう。情熱では食べていけないことは昔から分かっていることであるが、やはり情熱は大切である。

 昔は有名オケの団員ということで個人レッスンの生徒が集まったらしい。オケの給料より大きな収入が得られたという話はよく聞く。バイオリン教室だけで家を建てることができた時代である。

 現在はどうなのか詳しくは知らないが、しっかりしたスポンサーの付いているオケでない限り収入は期待できそうもないらしい。時代も音楽教室より学習塾になったようだ。ある大手の音楽教室が子供より高齢者にターゲットを置いているという話もある

 オーケストラはもはや無用のものになったのだろうか。社会全体からすれば無用と言えなくもないが、絶滅することはないだろう。何故ならやはり魅力があるからである。。

 オケは弦楽器と管楽器で構成されるが、やはり主体はバイオリン、チェロなどの弦楽器である。

 管楽器はソロであるが、弦楽器は同じ旋律を大勢で弾く。管楽器に比べ音が小さいから増幅ということであるが、弓で擦って音を出す楽器の合奏には増幅というだけではなく独特の美しさがある。

 音と音が響きあうとでもいうのか、ソロとは違った特別な響きがある。これがオケの魅力である。この魅力がなければオケはとっくに滅んでいる。

 壮大、雄大な曲想には管楽器の力に負うところが多いが、それがオケの魅力ではない。そういうことが好みであればブラスバンドを聴けばいいのである。弦楽器の美しさがあるから管楽器も魅力を発揮できるのである。

 オーケストラは私にとって昔懐かしい友人のようなものである。しかし最近はこの友人を訪ねることもなくなってしまった。家で音楽放送やCDを聴くことになってしまった。だから私がオーケストラの行く末を案じるのも自分勝手な話になる。

 広い東京の狭い音楽界に9つものオーケストラがある。東京都が昔オーケストラを作ったとき、新しく作るより既設のオーケストラを支援するべきだと思っていた。

 オーケストラは企業や政治的力の誇示に利用されることがある。音楽理念があって創設するわけではないから、企業など経営不振となれば真っ先に切り捨てられる。

 オーケストラは非日常のぜいたくである。その楽しみを作り出す人たちがそれに見合った収入得ることができていない。その人たちの頑張りでぜいたくな音を楽しんでいることになる。(了)

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