パリオリンピックは中盤というところだろうか。
女子柔道で負けた選手が号泣。スケートボートで連覇。男子サッカーはスペインに負けた。体操は総合・個人とも金。連覇とならなかった橋本大輝のコメントがなかなかいい。
あまりテレビ中継を見ていないが、パリということもあって、華やかということがなんとなく伝わる。
しかし開会式はビデオに録って見たが、何がどうなっているのかさっぱり分からなかった。
1964年の東京オリンピックを思い出す。あの時は働いていた印刷会社の事務室で、社員全員で見たものだった。「一生に一度のオリンピック開会式だから」、という社長さんの計らいである。
オリンピックの開会式はあの東京が一番よかったと思う。
選手たちの整然とした入場行進には軍隊を思うが、あの行進には選手たちの「正々堂々と戦う」という思いが伝わってくるようであった。
あの開会式での音楽を思い出してみた。思い出すまでもなく、あの開会式のオリンピックマーチはいつも私の頭の中に響いている。古関裕而氏の作曲による、これぞ不朽の名作というべき曲である。
開会式の冒頭、團伊玖磨氏による「オリンピック序曲」という曲が演奏されたらしいが全く記憶にない。
ファンファーレは一般募集によったものであったと記憶している。日本的情緒を、ファンファーレという西欧的な形の中でよく表現していたと思うが、最後の部分が歌謡曲のようになってしまった気がする。
黛敏郎さんの電子音楽も紹介されていたが、オリンピックマーチと共に記憶に深く残るのは、清水修作曲、佐藤春夫作詞の「東京オリンピック賛歌」である」。
オリンピック開会式にいつも歌われる「オリンピック賛歌」とは違う。
「にっぽんの秋 さわやかに」という歌声がいつまでも心に残る合唱曲であった。
清水修氏の格調の高さがあの青空に響いた。
あの東京オリンピックから開会式もずいぶん様変わりした。確かロサンゼルス大会だったか、人が空を飛んでいたシーンがあった。開会式がエンターテイナーの世界になっていった。
オリンピックの開会式も変わったが、なにより思うのは競技種目である。
オリンピックの標語は「より速く、より高く、より強く」であった。最近では「共に」という言葉が最後につくらしい。
ビーチバレーが競技種目になったときには驚いた。あれはスポーツか。海辺のお遊びではないか。
女子の試合の場合、観客が制限されたとかいう話もあったがどうなったのだろう。目を楽しませるスポーツがあってもいいと思うが。
今はゴルフ、スケートボード、サーフィンなども競技種目になった。ゴルフがスポーツかな、としばし考え込む。
スケートボードも、幸い品のいい少年少女が優勝しているからいいが、どんなもんかなと思う。
しかしオリンピックは、アマチュアのスポーツの祭典とされていたはずだが、プロ・アマの区切りが無くなったのはいつの頃からだったろうか。いろいろ議論があったことは覚えているが、今では何の疑問も持たなくなってしまった。
ニュースで馬術競技が映り、馬術といえば、「あの人、ほら、あの人」と言うが出てこない。「なんか面白い名前の人」。
認知症のテストのようになるが、出てこないのでスマホをみる。そう「法華津さん」。やれやれである。
思い出さないとき、スマホを見ようとするのはまだ初期であるらしい。見る知恵が働くだけいいというのだ。
馬術では馬はどうするのかという話になった。
女房は「まさか日本から運ぶことはないでしょう」と言う。
しかし「フランスの馬では〝どうどう〟と言っても通じないのではないか」と私が言う。
馬術は人馬一体となった演技の試合である。しかし馬を運ぶことは大変なことであるから、開催国の馬を使うのだろう、ということに落ち着いた。
しかし落ち着いたはずなのだが、やはりそれでは馬を訓練したことの意味がない。
これは記憶には関係のない事であるからスマホで調べてみると、馬は持ち込みとなっている。運送料が一千万以上。確かに金持ちのスポーツである。
「東京オリンピック音頭」は、三波春夫さんが歌って大ヒットしたが、さすがに開会式では歌われなかったようだ。
この曲の成り立ちには、オリンピック組織委員会は全く関与していないらしい。
あの開会式はあくまで厳粛なセレモニーであった。戦いが始まる前は、ああいう開会式でいいのではないかと思う。(了)
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