3時頃目が覚めて、ラジオのイヤホーンを耳にすると、いつもの番組ではなくサッカー中継であった。
 チューナーを触ってしまったか、と思ったが、パリオリンピックの開幕前に試合が組まれていることを思い出し、そうであるなら選局違いではない。ラジオを切り、枕元のテレビに変えた。
 日本とパラグアイ戦の前半が終わったところであった。日本が1点先取している。
 最後まで見てしまったが、5対0で日本が圧勝。パラグアイはずいぶん攻めていたと思うが点が入らない。
 パラグアイは、南米予選を1位で通過したらしい。そんな強豪チームがなぜ無残な負け方をしたのか。日本が強いのか。
 
 聖火が地中海を経てマルセーユについた時の映像を1ヶ月ほど前に見たが、実に華やかな映像であった。
 開会式も多分華やかで素晴らしいものになるのだろう。なんと言ってもパリである。
 3年前に東京オリンピックがあったが、なんの華やかさも楽しさもなかった。
 コロナで1年延期しての開催であったが、それでもコロナは収まらず、観客なしのオリンピックとなった。
 どういうわけか記憶に色彩がなく、モノクロなのである。
 大変な無駄遣いをしたような気がする。
 平和の祭典であるが世界は平和ではない。パリオリンピックにロシアとベラルーシは国として参加しないらしい。
 早朝のサッカー中継が終わった後、同じチャンネルでロシアの核がベラルーシに持ち込まれている映像が映っていた。
 プーチンは核使用も当然ありうると述べている。脅しもあるだろうが本当に使う気があるのだろう。
 しかしプーチンにしてもルカシエンコにしても人相が悪い。権力欲と性欲しかないような顔である。
 平和の祭典であるオリンピッの競技種目に戦争の武器が入っている。それが問題だということではないが、競技とはそういうものであった。
 やり投げ、円盤投げ、砲丸投げ。みんなその昔戦争で使ったものである。マラソンも戦争に勝ったことを国に伝えることが始まりであった。
 サッカーも敵陣に攻め入るゲームである。
 「戦争は発明の母」と言われる。コンピューターもインターネットも戦争技術がもたらしたものである。
 ラップもティッシュも戦争が生み出したものらしい。
 
 戦争が生み出した最大で最悪のものは核爆弾ということになる。
 核爆弾は敵兵を殺戮するものではなく、一国を地球上から消滅させるために使用されるものである。
 世界は素晴らしいオリンピックを行いながら、たった一人の人間の妄想を止められない。世界はこんなものでもあった。(了)

  
  
  
  

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