アイデンティティという言葉を知ったのは受験勉強の時ではない。社会人になってからこの言葉が流行り言葉のように使われ出したような気がする。
会社勤めをするようになって、耳にタコができるように聞いた単語はアポとかコンタクトだった。
自己主張せず、ただ黙って上の命令に従って働くことを要求する会社であった。
一部上場の破竹の勢いであったこの会社が、その後破綻したことを新聞で知った。
アイデンティティは、「自己同一性」「個性」「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」などと訳されるがどうもピンとこない。
「自己が時間の経過や変化に関わらず、連続する同じものであること、それを確信できる自我を持っている」ことを指します、と書いてある。
これでは分かりにくいと思ったのか、簡単な言葉に言い換えるとして、「自分が自分であることを認識していること」になります、とご丁寧に付記している
よく使われる「アイデンティティが確立している」とは、「自分がいったいどんな存在なのかを理解している」状態のことを言うことであるという。
他者から見た自分は「バーソナリティ」であって、自分自身がそれを自覚していることが「アイデンティティ」である、ということを強調して説明している。
日本には自己同一性なるものを認識する必要も背景もなかったと思われる。
昔から氏素性という言葉があったが、出自を明らかにすることにすぎず、自己同一性とは全く別のことである。
日本語には外国語にはない季節に応じた微妙な言い回しがたくさんあり、豊かな表現力を持つ言語と言われるが、人間に関する言葉は乏しい。
昔から他民族との関りのない民族であるから、自分が自分であることを認識する必要はなかったからかもしれない。せいぜい自分の氏素性を明かせば他人との関りは済んだのである。
考えてみると、日本人は明治の時代からアイデンティティを失ってしまったのではないかと思われる。
失ったということはそれまでは持っていたということだが、前述してきたことからすれば日本人はもともとアイデンティティを持っていなかった。必要なかったということになる。
そうであるなら失ったという表現はおかしいことになるが、現代におけるアイデンティティを考えると「失った」としたほうが明快になるのである。
明治の時代、燕尾服とドレスを着てワルツを踊れば西欧人と同じになるという発想はどこから来たのであろうか。こんなことでヨーロッパに追いつくことができると本当に考えたのであろうか。
世界に名だたる経済大国になっても世界の尊敬は得られない。
総理大臣は外国に行けば金をばらまくだけである。どうしてそうなのかと思うが、その原因は鹿鳴館を作るような日本人の精神構造にあるのではないかと思う。
私は昭和22年生まれであるが、学校で戦争のことは一切教わらなかった。あの戦争のことをなぜ戦後の教育は教えなかったのだろうか。
私たち団塊の世代より少し前の世代の人たちは、「一晩にして大人たちの言うことが180度変わってしまった。大人が信用できなくなった」と言う。団塊の世代はこのことが実感として分からない。
昨日まで教育勅語を読まなければならないとされていたのが、読んではならないということになればそういう気持ちになるかもしれない。
戦後とは戦争のことは考えず、戦争を忘れることのようであった。
今に生きる日本人のアイデンティティとは何なのであろうか。
フランスの歴史学者が雑誌に書いていることが気になった。
G7が広島で開催される直前に岸田首相がウクライナの首都キーウを訪れたことがとても悲しいと言うのである。キーウはナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺が行われた地である。日本人がこの言葉を理解するのは難しい。
岸田首相は何を思ってキーウに行ったのか。G7を前に行っておかなければ議長国の首相としてみっともないということらしい。
一国の首相にはなにか哲学のようなものが欲しい。
日本は間違っているというつもりはない。
戦後、銀座の交差点で、アメリカ軍の兵士から交通整理を教わることになった。
なにか象徴的である。
戦後の廃墟から頑張って生き抜いてきたが、行きついた先からその先が分からなくなってしまったようだ。
アイデンティティとは過去を認識することだと思うが、日本の場合はアイデンティティを新しく作ることになる。しかしそれが難しい。戦後80年近い月日はそのことを示している。
やはりアイデンティティは、過去に立脚しなければ成立するものではないことが判る。過去を捨ててはダメなのである。過去とは明治のことではない。(了)
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