よくまあ生きて来たと思う

つぶやき

 深夜のテレビで小椋佳さんと谷村新司さんが出演している番組が放送されていたが、2014年の再放送らしい。

 小椋さんは作詞・作曲家ということになるが、小椋さんの曲は作曲というより、言葉に合わせた節(ふし)を作るという感がある。浪曲や浄瑠璃を意識しているのではないだろうか。語韻を大事にしている。

 番組の中ではじめて聴く歌を歌っていた。歌詞を追うと終活の歌のようである。調べてみたら「顧みれば」という曲名。お経を読んでいるような歌であったが、まさしく小椋さんの作風。

 確か小椋さんは胃ガンの経験者。57歳のときだったようだ。銀行員時代は体重80kg、血糖値は400もあり、68歳のときに劇症肝炎で生死の境を彷徨った。私と3つ違い。今年81歳になられる。70歳のときに生前葬をされている。

 番組の中でうたった「顧みれば」という歌は、多分生前葬のコンサートで歌ったのではないかと思われる。

 少し長い歌であるが、「教科書のない 一度限りの 人生を まあよく生きて 来たと思う」という詞で始まり、「わたしの運命に 関わった 全ての人々に ありがとう」で終る。

 つぶやくように歌うが、小椋さんらしい歌である。

 中ごろに、「人が見れば 名も実も得て 心豊かな 暮らし振り 望み以上で 来たと思う」という歌詞がある。

 有名になって金も儲けて豊かな暮らしをしてきた、と言っているのだが、自慢話になっていない。普通は変な謙遜をして嫌味になる。そのままの表現が、聴く者も納得して爽やかである。

 人生における人との出会いについて、「友の支え 女性の救い 出逢いの恵み 数多く 運良く受けて 来たと思う」と綴る。

 「妻に支えられて」という表現は耳にするが、「女性の救い」とはなかなか表現できるものではない。男は女性に救われるものである。

 「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」 びっくりするほどの歌詞だった。こんな歌を作った人は今までの日本にはいなかった。

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