もの想う秋

つぶやき

 10月最後の日曜日。きのうの朝から今日の夜まで、冷たい雨がしとしとと降り続いている。そう、秋の雨はしとしとと降る。
 
 10月は家内の入院手術があった。わずか2週間ほど前のことであるが、あれほどの思いも遠い昔のような気がする。

 もの想う秋。来し方行く末に想いめぐらす季節。大した来し方もなく、行く末も先細りであるから、せっかくの秋の夜に、それ似あう言葉を寄せることもできない。

 母を想うことが多い。子供のために一生懸命な人だったが、他人を受け入れることができなかった。

 あれほど子供に尽くしたのに、子供は母から離れていった。兄も私も。母を看取ったのは姉であった。
 
 姉は親子の確執とか言葉の行き違いとか、そんなことはどうでもいいこととして、ただただ愛しいと母を守った。

 姉に、母がどうして兄のお嫁さんとうまく生活することができないのかを話したことがあるが、「よくもまあそんな冷静に親を批判できるものだ」と姉から言われた。

 子供は親から離れていくもの。母は夫を早く亡くしてから子供だけが生きがいであったが、いつしか子供が大人になり、自分の考えを持つということにずいぶん戸惑いを感じていたようだ。

 私にとって子供の結婚はせいせいするものであった。あのうっとうしさが家から無くなるかと思うとうれしくてたまらなかった。

 近所に夫を亡くしひとり住まいの女性が何人もいるが、口を揃えて言うのは「子供なんてあてにならない」。特に男の子は「寄り付きもしない」

 あたり前のことである。子供は親のことなど何も思っていない。なにかあれば面倒に思うだけである。寂しいかもしれないがそういうものと思った方がいい。

 顔を見せたところで愛想もなく、仏頂面をしている子供など見たくもない。母に対して私がそうだった。今になって、もう少し親身にしてあげればよかったと思う。

 母が布団の裾を直してくれるととても暖かくなった。かけた布団にそのままもぐりこんだだけなのだから、そんなに布団が乱れていることはない。でも母が直すと暖かくなった。

 綿を打ち直して、四畳半一間の部屋で布団を作り直していた母の姿を思い出す。

 そんなにしなくたってと思うが、母にすれば布団はそういうものであったらしい。だが作り変える布団は子供たちの分だけで、母のものはどれだったのか全く記憶にない。

 布団の裾の直し。母のぬくもりを感じるものであった。

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