伊東市の田久保市長さんも、最初から誤ったことを言わないで、謝ってしまえば、こんな大事にならずに済んだかもしれない。弁護士に相談した割には危機管理ができていなかった。
きのうテレビで一昨日の会見を少し見たが、「6月28日に卒業証明書を取得するため大学を訪れましたが、卒業は確認できませんでした。除籍であるということがその場では判明いたしました。選挙中には大学卒業ということは公表していませんので、公職選挙法上問題はないということになりました。
こんな内容だったが、同じような話があったことに気がついた。
「トラブルがあったことは事実です。そして、双方の代理⼈を通じて示談が成⽴し、解決していることも事実です。……なお示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても⽀障なく続けられることになりました」
中居正広の「お詫び」と題する文章の一部。最後の部分がまずかった。
松本人志、中居正広、国分太一。「みんなどこへ行った。見守られることもなく」。「痴情のホシ」という歌があった。こんどこのホシの中に、石橋貴明という漫才芸人が加わるという話もある。
しかし松本人志という人のその後はどうなったのだろうか。一見落着ということなのだろうか。
女性の性被害が深刻なものであることが最近強調されている。性被害は最近始まったものではない。
戦後に「パンパン」と呼ばれた女性たちはなぜ娼婦になったのか。
毎日新聞の女性記者の一文に気をとられ、そんなことを考えた。
「パンパン」とは、戦後混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街娼のことであった。
一人の特定の将兵と交渉をもつ娼婦のことをオンリーといった。松本清張の小説で覚えたことである。
「パンパン」になる事情は、戦争で家族や財産を失って困窮し、売春に従事することを余儀なくされたということが多い。戦後、菊池章子さんが歌った「星の流れに」という歌は、そういう女性を歌ったものであった。
戦後まもなく日本政府は、連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために、「特殊慰安施設協会」という占領軍兵士のための慰安所を作った。
その施設が廃止されて、職を失った売春婦が街頭に立ち、パンパンになった、とも言われているらしい。
毎日新聞の女性記者は、当時の記録を見ると戦後の混乱の中、占領兵からのレイプがきっかけでパンパンになった女性が少なくない、という。
「性被害者なのに娼婦になるという経緯は一見理解しがたいが、心理学的に考えれば、そこには原因がある」という。
そういうこともあるかもしれないと、先を読もうとしたら、それから先は有料記事であった。
性被害は一生女性の心に傷を負わせるものなのであろう。男たちはまだあまり気づいていないようだ。
「性被害者なのに娼婦になる」という指摘。ものすごく深い意味があることではないか。
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