先月末に、介護リハビリのことでケアマネージャーという人と初めて面談をした。
歳の頃50くらいの女性。女房は60は過ぎていると言う。
いろいろ質問を受けたが、リハビリの目的に、「また銀座を歩きたい」という話を私がしたとき、「その言葉を掲載してもいいですか」とケアマネージャーさんが言う。
「こんな素敵な希望をもってリハビリに励んでいるお年寄りもいます」、というようなことを、自分の介護会社のパンフレットにでも掲載しようということなのかもしれない。
介護保険制度というものが良く分からない。どこか具合が悪ければ介護保険でどこの医者にでもかかれるものと思っていたが、そういうことではないようだ。
支援にしても介護にしても、治療するとか回復するとかいう意味を持つ言葉ではない。
今日は午後から通所リハビリ施設との契約である。医療施設に行くのに契約書を取り交わすのは初めてである。
当事者は認知症などの人が多いから、介護費用の支払いなどについて配偶者や親族を立ち会わせて明確にさせるということだろうか。
介護保険について調べようとすると2025年問題というのが出てくる。国民の4人に1人が後期高齢者、5人に1人が認知症、医療費の財源不足、社会保障費の増大、医師不足、労働力不足、介護人材不足、介護難民、老々介護、空き家の増大、病院から在宅へ。
キリがなく、おっそろしい話ばかりである。メディアが煽っているとも思えない。2025年問題というものは予想ではなく事実ということである。事実は直視してそれに対応しなければならないと学校で習った。
連日のパーティ券問題で派閥のパーティ映像が放送されているが、皆さん芸能人のようにはしゃいでいる。どうも事実を直視するような人たちには見えない。
事実には直視することの他に目をつむるという手がある。日本という社会は目をつむる社会、先送りの社会であった。それで済めばいいが。
こういう陰気な話になるとやはり銀座を歩きたくなる。銀座はやはり格好のウォーキングコースである。
中心部にはデパートが何店もあり、老舗のおいしい名店がある。
4丁目の交差点からどっちに行っても日比谷、築地、勝鬨橋、銀座9丁目は水の上など飽きることがない。
これだけバラエティに富んだ地域は東京には他にない。ただし、夜のバラエティは残念なことに私には全く縁がなかった。
何年か前、佃島、月島と歩いて勝鬨橋を直進すれば銀座であることを初めて知った。
銀座は思っていたより海に近い。隅田川の河口とグランドレベルはほぼ一緒である。バラエティに富んだ地域であるが、場合によっては危険と紙一重の町でもある。どうも今日はネガな話になってしまうようだ。
佃島に行くのは佃煮が目的である。江戸の風情が残っているというが、何が江戸風情なのか分からない。
狹っ苦しい町である。そんなところに海を目の前にして高層マンションが立ち並んでいる。林立しているというべきかもしれない。この風景は異様であると言う感性が正しい。
勝鬨橋から眺める佃島の風景はそれこそ外国のようであるが、居住者としては眺めたくない。ウォーカーとして眺めるのがいい。
月島のもんじゃ焼きを食べた。月島がもんじゃ焼きの町になったのはいつ頃であろうか。もんじゃなどでどうしてこんな街になったのか不思議である。1回食べればいい味である。いいとは「good」ということではなく、「enough」ということである。面白がって食べるもので、おいしいものではない。
ケアマネージャーさんから電話があった。今日のリハビリ施設との契約のためにケアプランとやらを作らなければならないので、質問にお答えくださいという。今日の今日になってやることかと思う。
いろいろ訊いてきたが、「ここ2週間くらいの間になにか生きがいを感じたようなことはありましたか。『はい』か『いいえ』で答えてください」などと言う。
なにアホ言うてんねん。こんな年寄りに生きがいなどあるはずはないではないか。「頼りにしているケアマネージャーにアホなことを訊かれて生きがいを失くした」、と答えようと思ったがやめた。
「いいえ」と答えたが、ケアプランとやらには「生きがいもない、さみしく生きている老人」とでも書かれるのであろうか。(了)
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