ふるさとは遠きにありて城ケ島

つぶやき

 望郷という言葉いい言葉だなと思うが、私には故郷がない。望郷というとジャン・ギャバンであるが、古い映画である。最後のシーンの記憶しかない。

故郷を懐かしく思いやること」望郷ということだが、そうであれば私にもその思いはある。
 小学生4年の時転校したが、元の学校が懐かしくてしょうがなかった。一人で電車に乗れるようになったとき真っ先に行ったが、電車がその街に近づくにつれ、なんとも言えぬ気持ち高まりを感じた。これ望郷と言っていいものであろう。

 「ふるさとは遠きにありて思もの」と歌った人がいる。故郷は帰るところではないと思ったということであるから、故郷の人たちからひどい目にあったのであろう。
 しかし二度と帰らないと決心した故郷を、遠く離れた都会から何を思うというのだろうか。人に絶望したということだから景色だけということになる。そういう望郷もある。ふるさとは錦を飾って帰るところで、貧乏のまま帰ってはいけないところである。

 「ふるさとは今もかわらず」と歌う歌が好きである。新沼謙治さんの作詞作曲によるものだが、故郷岩手の震災に寄せた歌である。素人ぽい素直な歌詞がいい。
 つまらぬ歌を歌っていた人だが、何年か前から思慮深い表情を示すようになった。ふるさとを遠きにあっても近きにあっても思っている人のようである。

 やけにおふくろ 気にかかる ハーヤイと歌う歌謡曲がある。望郷酒場という題名らしい。
 このを知ったのは母が死んだ後である。懐メロ番組を聴いていてこの歌詞が心に残った。
 母が死んで14年が経つ。夢に出てきたことがない。どういうことなのか。成仏しているということでいいのだろうか。この歌を聴いて、死んだおふくろのことが気になった。

 母は楽しみを知らない人であったが、なにか喜びはあったのだろうか。どこに旅行に連れて行っても、おいしい物を買って訪ねても、喜ぶ顔を見たことがない。
 中学を卒業して印刷会社で働き始めたとき、社員慰安旅行で城島に行ったことがある。家族同伴の日帰りバス旅行ということなので母を誘った。
母との旅行はこれが初めてのことだったかも知れない。母は「お前が世話になっている人たちに挨拶しなければ」と当然のように承知した。

 母は必要もない人にまで、「息子がお世話になっています」と頭を下げてまわっていた。当日雨ではなかったが、売店からは「城島の雨」が流れていた。
 それから何年かして私は結婚し母は兄との二人暮らしなったが、私が訪ねると針仕事をしながら「あのとき城ヶ島の歌があったね」と、時折そんなことを言う。どんな思いが母の心に残ったのだろうか。

 「やけにおふくろ 気にかかる」と歌った作詞家はこの詞の冒頭をおやじみたいなヨー 酒呑みなどにならぬつもりが なっていた」と書いている。この人はアルコール性肝硬変で亡くなったらしい。
 酒が入ると望郷となる。特に高齢者の夕暮れ時は望郷時間帯かもしれない。酒に気をつけて望郷することが肝要である。()

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