ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ
峠三吉原爆詩集序の部分。
学生時代にこの詩にふれて衝撃を受けた。
今日は長崎に原爆が投下された日。以前は広島の原爆の日も原爆記念日と呼んでいた。何を記念に祝うのか。
広島の平和記念式典の挨拶の中で、何人かが「過ちを繰り返しません」という言葉を使ったらしい。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉は原爆慰霊碑に刻まれている言葉である。広島大学の教授だった雑賀忠義氏の作となっている。
主語は誰なのか、日本人が過ちを犯したわけではない。過ちを犯したのはアメリカである。この碑文には以前から論争がある。
「『過ちは繰り返しません』という言葉は、実は自虐史観と偽善から生まれた言葉である」。
「『私たちが誤った戦争をしたことで原爆投下になってしまいました。ごめんなさい』という趣旨で書かれた文章なのだ」
と断言するのは日本保守党の代表を務めている百田尚樹氏。
「この碑文を見て違和感を覚えるか否かは、自虐史観に染まっているかのリトマス試験紙となる」と百田氏は言う。
私は自虐史観などに染まっていないが、彼が言うこともよく判る。その通りだと思う。「過ちは繰り返しません」。どう読んだって過ちを犯したのは日本人ということになる。
こんな文章を考え出し、碑文にまで刻んだ当時の世相というものは一体全体どんな社会だったのか。思考能力を喪失しているようだ。
今年で80回目の原爆の日。広島長崎の惨状を私は知らない。知っているのは映像と語り継ぐ人の言葉だけである。
何年か前に広島を訪れたことがあるが、原爆ドームも観光地のようになっていた。広島平和記念資料館ももちろん行ったが、原爆の恐ろしさを表すには稚拙の感がある。
「過ちは繰り返しません」という言葉には確かに偽善がある。
「にんげんをかえせ」と言う激しい言葉を生む原爆の惨状は被爆者しか分からない。被爆者の苦しみをそのままに、「過ち」などと安直な言葉を発してはならない。
碑文は「にんげんをかえせ」に替えるべきである。偽善ではなく魂の叫びを刻むべきである。
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