なぜ教育勅語がでてくるのか

つぶやき

 毎日新聞は昨日の夕刊と今日の朝刊1面を、特大のフォントで「石破首相、退陣へ」と報じた。

 しかし、石破首相本人は、「そのような発言をしたことは一度もない」「進退については一切話していない」とこれを明確に否定している。

 昨今の政治状況、メディアにも混乱がある。

 参政党に関して、「日本人が熱狂」と「参政党の化けの皮」と2つの評価がある。

 日本の政治には、こういう政党が生まれてくるのも当然あり得る、という状況がある。しかしこのような政党の常で、新しい政治ビジョンが提示されることはない。
 
 行き詰った政治を批判し、国民の不満を代弁し、世論を煽って共感を得ようとする。化けの皮というのもそのうち何枚か出てくるだろう。

 国民もこういう動きには乗りやすい。特に最近はSNS万能の時代。
 面白ければそれでいい、という風潮があることはいつの時代も同じである。

 代表という神谷宗幣氏は昭和52年生まれ、47歳。
 天皇が主権者であった時代を知るはずはないし、教育勅語を口にしたこともないはずだ。

 戦後教育を受け、民主主義、基本的人権の素晴らしさを知っている人がなぜ過去に戻ろうとするのか。
 過去ではなく、これからの新しい日本の在り方を、なぜ示そうとしないのか。
 
 憲法改正がなかなか進まない。理由は国民の納得が得られないことに尽きる。改憲を主張して選挙をすれば負ける、と保守陣営は読んでいるようだ。いまのところ大半の国民は現行憲法を支持しているということである。

 世界情勢を見れば、憲法を改正して軍隊を正式に置き、軍備を拡張し、日本を強大な国にしなければならない、という主張を否定する気はない。

 国民もそのことが分かっていないということではない。中国の台湾進攻、北朝鮮の核武装。国に危険が迫っていることは知っている。

 しかし現行憲法は国民にとって居心地のいいものであって、これを国民からとりあげるのはちょっと難しい。

 保守勢力が悔しがっているのは、アメリカに押し付けられた憲法ということであるが、あまりに国民を甘やかしすぎた憲法であることにある。

 現行憲法は日本を弱体化させるためのものであったと言われる。
 太平洋戦争時、アメリカ軍は死を恐れず立ち向かってくる日本兵の勇猛さに驚き、恐れたという。どうして日本兵はあれほど死を恐れず勇敢だったのか。
 
 戦後日本人は世界に例を見ない平和ボケになった。しかし平和ボケでいられる国民ほど幸せなことはない。いつまでも平和ボケでいられる社会であってほしい。

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