子供の頃、母から日露戦争の話をよく聞かされた。203高地と広瀬中佐の話である。
昔は戦争を題材にした講談本のようなものに人気があったらしい。
203高地の話は、攻めても攻めてもロシア軍の機関銃の前に無駄死にのように死んでいく兵士と、乃木大将の息子がその戦いで死んだ話であった。
広瀬中佐の話は、沈む船から退避する兵員の中に、杉野一等兵の姿が見えないことから、敵弾が飛び来る中を探し回るが、ロシア海軍の砲弾の直撃を受けて、一片の肉を残して戦死した話である。
「すぎの すぎの」と広瀬中佐が呼びかけたという言葉を母が演ずるが、その声が悲しい話と共に心に残った。
広瀬中佐も杉野一等兵も靖国神社に祀られていることになっている。
西南戦争で死んだ西郷隆盛は、靖国に祀られていないらしい。
戦いに神はつきものであった。頼朝も義経も義貞も光秀も戦いの前に祈願している。石破さんも戦いの日の早朝、近所の神社に参拝したという。
戦い終わって一夜明け、逆転劇の原因が語られている。
1回目の投票において高市さんの議員票は72。石破さんは46。
決戦投票では高市さんの議員票は173。石破さんは189。
高市さん絶対有利、「初の女性首相誕生」がどうしてこういう結果になったのか。
「このままではまずい」という判断が、各議員個人か、派閥なのか同志の集まりなのか知らないがそのボスにあったことになる。
高市さんは総理大臣になっても靖国に行くと言っている。石破さんは行かないらしい。
自民党は全員保守のはずだか、保守にもいろいろあるらしく、高市さんは「右すぎる」ようである。
自民党の大半の議員は、日本会議国会議員懇談会に参加しているが、政治が右に進むことに懸念を示したことになる。ではどうするのか。
議員さんは思惑で動くことはあっても信念で動く人がいない。
自民党の女性議員には自ら右派を名乗る人が多い。世間の常識から離れた論調をあえて口にする人が何人もいる。
女性は平和を求め、女性や子供たちの人権擁護に努めるべきだと思うが、どういうことなのか、首をひねることになる。
男社会で生きていくには右でなければ目立たないのかもしれない。
高市早苗さんや稲田朋美さんが、果敢に右を主張することには、なにか「無理」というものを感じる。
三原じゅん子さんや杉田水脈さんが右めいたことを語ると「無知」ということを感じる。
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