ついに老人性難聴

つぶやき

 ここ半年近くスピーカーから流れる音楽がおかしい。なにかガサガサしている。オーディオのせいかと思ったりしたがそんなはずはない。特に弦楽器がハッキリしない。

 先日チャイコフスキーの悲愴がFMで放送されていたが、第1楽章の出だしのファゴットが聞こえない。これぞ悲愴という第2テーマがそれらしく聞こえない。第4楽章の最初の弦楽器の響きがいつもと違う。ファーストバイオリンとセカンドバイオリンが一つの和音を分けて弾くように作曲されている。それによって悲しみが霧に包まれたような響きになるが、セカンドバイオリンが弾くFisの音が聞こえない。どうもオーディオのせいではなさそうである。

 もともと左耳が聞こえづらい。それでも今までこんなことはなかった。妻からもここ1年近く、「よく聞こえていないのではないか」と指摘を受けている。面倒だが耳鼻科に行ってみる。
 
 診察前に、「老人ですから治らないでしょう」と医者に言うと「そんなことはありませんよ」と医者は応える
ひと通り検査が終わったら、「これはだめです、回復しません」と医者は言う。

 補聴器を作るための検査を予約することになった。長い期間難聴のような状態が続いていると補聴器をつけても効果がないらしい。

 日本人と特にヨーロッパ人の、会話に対する考え方の違いが補聴器の普及に関係しているという。日本は補聴器の普及が極めて悪いらしい。日本人は相手の話が聞き取りにくいとしてもそのままにしてしまう習慣があるが、ヨーロッパ人は相手の話をしっかり聞かないと生活そのものが成り立たないことになるらしい。彼らは50代くらいから補聴器をつけるという。日本人は老齢による難聴が始まる70代や80代からつける。それでは脳が受け付けないから補聴器の効果はないらしい。

 ま、そんなことでまた老化による欠陥が増えてしまった。今度は体の修理はきかず、装具装着ということになる。体のいたるところがボロボロとくずれてきたような感じである。若い頃には思いもしなかったことである。(了)

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