ソラマメという豆には空豆、蚕豆、一寸豆、野良豆、夏豆、天豆、四月豆、高野豆、といろいろな呼び名がある。
物にいくつもの呼び名があることはよくあるが、こんなにあるのも珍しい。
一般的には空豆だが、その由来は、さやが空に向かってつくため、ということのようである。
蚕豆もソラマメと読むようだが、サヤの中の見た目が蚕の繭に似ていることから蚕豆という字があてられたらしい。
繭は富岡製紙工場で見たことがあるがたしかに似ている。
しかしさやに入っているから豆なのだろうが、他の豆と比べて形状が違う。豆らしくない。
しっかりとした立派なさやを開けてみると、豆が一つしか入っていないということがある。空豆は空豆(カラ豆)という意味もあるのではないだろうか。
現役の頃、仕事を終えての楽しみはビールと季節の豆であった。
酒の肴の豆となれば空豆、枝豆、ピーナッツだが、季節を感じながら食べるのは空豆と枝豆ということになる。
私の豆好きから女房は早いうちから豆を食卓に出す。
早いうちというのは時間のことではなく季節である。空豆が店頭に出回れば買うことにしているようだ。空豆を買うと知人に、「そんな高いものを」、とよく言われたらしい。初物は高い。
一生懸命働いていた頃、初物の空豆を食べることなどちっとも贅沢なことではない。こんなものでまた亭主が元気に働く気になれば、女房にしてみれば安いものである。
現役を引退した今でも初物の空豆を食べるが、そのくらいの甲斐性はあったはずである。たかだか初物の空豆を男の甲斐性と言うのも情けない。
知らなかったが、空豆は鮮度落ちが早いらしい。「そら豆がおいしいのは3日間だけ」という言葉もある。豆がサヤから出て空気に触れると、すぐにかたくなってしまうためのようだ。
昔、私の結婚式の写真を撮ってくれた友人とお礼を兼ねて食事をしたとき、私が空豆の皮をむいて食べていたのを見た友人が、「皮をむいて食べるとは知らなかった」と恥ずかしそうに言ったことがあった。むこうがむくまいがどっちでもいいことだが、彼は気にしたようだ。
空豆にもいろんな調理法があるらしいが、塩茹でしかありえない。
茹でかげんはアルデンテということもあるが、豆であるからふっくら感が欲しい。しかし柔らかくては豆の食感がない。時々自分で茹でることがあるが、むずかしい問題である。
空豆の形を見て気がつくことがある。おたふく豆と空豆の関係である。豆菓子や甘納豆にあるおたふく豆と空豆は同じものではないか。調べてみたら同じものであった。大きい空豆をおたふく豆と言うらしい。そんなことも知らないのかと言われてもしょうがないほど常識らしい。
2月の終わりか3月の初め頃から食べ始めるが、旬の時期と言われる5月頃になると飽きる。飽きると書いたがおいしくないのである。旬の時期にはおいしくない。こういう豆も珍しい。
生協から取り寄せている空豆がなくなり、今日女房に空豆を買ってくるよう頼んだが、2軒のスーパーを回っても店頭に無かったという。九州産はとっくに出回っているが、値段が高くスーパーも仕入れを見送るのかもしれない。
まだ寒さを感じるこの時季でしか味わえない淡い春の味。この時季に店頭に置いてないとはもったいないことである。
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