「地震に負けずに頑張ってください」、と秋篠宮紀子さんは能登の小学生を激励した。
そういう言葉になるのだろうなと思うが、しかし「負けずに頑張ってください」と言われてもどうしようもできないことがある。
奥さんと娘さんを亡くされた人は、「これからどうすると訊かれたってどうすることもできない。家族がいなければなんのために生きていくのか」、とインタビューに答えていた。
頑張ってください、などと口にしてはならない。
多分個人の人たちが撮った思われる映像が流されている。凄まじい揺れである。建物が崩壊していく。道路に亀裂が走る。
阪神淡路大震災の時、その揺れを、「殺しにかかってきている」、と表現した人がいたが、あの映像でその意味が分かる。
麻生さんが、「そんなに美しい方とは言わない」「おばさん」という上川大臣に対する発言を撤回した
笑いを取るつもりなのであろう。こういう笑いの取り方が当たり前のこととしてまかり通った時代があった。私にも覚えがある。
言葉には撤回できるものとできないものがある。撤回できないものには、撤回しても意味がない、といったものも含むことになる。
契約の申込み撤回は、契約を成立させないという効果があるが、麻生発言の撤回にはなんの意味もない。撤回したところで麻生さんの人間性に対する疑いが消えるわけでもなく、人の記憶から消えるものでもない。政治的発言ではないから議事録から抹消ということもない。
発言の撤回は恥の上塗りである。言いたいことを言っておいて、雲行きが悪くなれば「無かったことにしてくれ」、とはいい年こいた男の言うことではない。
麻生さんは最後までふてぶてしくしていればいいのである。まさか発言にクーリング・オフ制度の適用があると思ったわけではあるまい。
上川大臣も女を下げてしまったようだ。
「世の中には、さまざまな意見や考え方がある」という発言は寛容を示すものであるが、なんの思想性も持たない無意味な言葉である。
上川大臣はなぜ抗議しないのかと、とばっちりを受けたことになってしまったが、多分抗議などという気持ちは生じなかったのではないだろうか。言われてみて、そういうものか、と思ったかもしれない。
上川大臣は70歳である。長く男社会で生きてきた人である。そういう生き方が女性にどのような思考方法を形成させるものなのか。
男も女も、まだまだ昔のままの体質を持っていることが露呈した麻生・上川発言ということではないだろうか。
麻生さんの発言は1月末頃、地元後援会でのことらしい。麻生さんの顔には能登の人たちに思いを寄せる気持ちが全く感じられない。(了)
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