そばをよく食べる。「そば好きですか」と問われると少々困る。もりそばしか食べないからである。
温かいそばはほとんど食べない。温かいものとなるとうどんになる。これではそば好きというわけにはいかない。
そば好きはもりそばしか食べない、という話を聞いたことがあるが、そうであるなら私は正統派の「そば好き」である。
手元にそばに関する文庫本がある。著名な人たちがそばに対する思いを綴ったものである。
読みだしてすぐ気がつくのは、そばは好きだがいわゆるそば通ではない、ということを強調する人が多いことである。
そばとはそういう食べ物である。
そういうことで私はそばをよく食べるが、実はつゆが好きなのではないか、と思うことがある。
ずっと不思議に思っていたのだが、どうして江戸っ子たちはそばを好んだのか。
この疑問を解いてくれる記述に最近出会った。
江戸近郊はいわゆる関東ローム層といわれる痩せた土地で、そばの栽培にはうってつけであったということと、濃い口醤油の発明だという。
まさに目からうろこ。あの醤油がなければ江戸のそばは成り立たない。私がそばよりつゆに惹かれるのは間違っていなかったのだ。
もりそば1枚1000円の時代となった。なんでもりがそんなにするのか、と腹が立つ。
3年ほど前小布施で食べたときは1,800円だった。もはやそばの値段ではない。
以前はどの店に入っても当たり外れがなかった。東京での話だがみんな同じ味のように思った。
藪とか更科とか砂場とか、本家の名前は違っていても、同じような店構えで、つゆも多少甘い辛いはあっても、食べてしまえばみな同じ、という感じであった。
しかし最近は、手打ちをうたい文句に、こだわりのある店が増えた。そばを食べに行こうというとき、どの店にするかによって思い浮かぶ味が違う。
東京の老舗を訪ねた。年越しそばといえばこの店がテレビに出る。
待つこと1時間近くやっともりそばにありついた。
少しもうまくない。面にコシもなく、付け合わせのかき揚げも油ポイ。江戸っ子はこんなそばを食べていたのか。好みの問題ではない。それ以前の味である。
初めての店に入ることは賭けである。そばの味は一口や二口では分からない。全部食べ終わらないと分からない。
一口や二口では騙されることがあるからである。店が騙すということではない。そばというものが持っている性質である。
そばを半分近く食べ、ひょっとしたらこのそばはうまいのではないか、と感じた時が、そばを食べる楽しさである。(了)
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