1年に一度くらいすき焼きを食べる。1年に一度か二度焼き肉を食べる。1年に二度か三度トンカツを食べる。
肉をメインにして食べるのはこんな程度であるから、動物性たんぱく質を十分に摂っているとは言えないかもしれない。
我が家は肉より魚の方が多いが、最近では食事の量も減り、刺身などもあまり食べたいと思わなくなった。
食べ物の話になると母のことになるが、母はたまに豚鍋を作った。私は豚鍋とすき焼きが異なるものであることを知らなかったので、これをすき焼きと思っていた。
母は豚鍋を食卓に出すたびに、「ほんとは牛の方がいいんだけどね」と何かすまなそうに話をした。私はそんなことは分からないから、甘辛醤油で煮込んだ豚や野菜の鍋が本当においしいと食べたものである。
昔、今ではリーガロイヤルホテル東京が建っている場所の目白通りを隔てた向かい側に、高田牧舎(ぼくしゃ)という料理屋があった。高田牧舎と言えば早稲田大学の正門通りにある創業100年を超える老舗洋食屋のことになるが、目白通りの店は日本料理屋として営業していた。ひっそりとしたたたずまいの店であったから、多分早稲田大学の先生たちの会合の場であったのかもしれない。今は無くなったようである。
中学を卒業して私は印刷会社で働いていたが、その印刷会社は早稲田大学の入試問題を印刷するところでもあった。
試験問題の印刷期間は一切外部との接触は禁止である。職人たちは印刷所に泊まり込みとなる。泊まり込みと言っても宿泊設備があるわけではなく、機械のそばに貸し布団を敷いて寝るのである。
私は試験問題を扱う部署にはいなかったから自宅に帰ることができた。
なおこの印刷所は、後年職人の一人が入試問題漏洩事件に関与して逮捕され、以後業務を閉鎖したという話を風のうわさに聞いたことがある。
働き初めて1年後、初めて試験問題の印刷時期になって高田牧舎での会食会に参加した。
この会食会は、毎年この時期に所長さんの配慮で催されているもので、これから1か月もの忙しい時期を過ごす職人を激励するためのものであるが、と同時に、入試問題の印刷という仕事の重大性を職人たちにあらためて知らしめる意味もあったようだ。
私はここで人生初めてすき焼きというものを食べた。最初に鉄鍋で肉を焼いてから割り下を入れるというのを見たのは初めてである。仲居さんがよそってくれるのも初めてであるし、卵につけて食べるということを経験したのも初めてである。世の中にこんなにうまいものがあるかと思うほどであった。
すき焼きという食べ物は16歳の身にまさに初体験の物であったのである。
中学を出て働きはじめて、わずかなことであっても今まで食べたことのないものを食べる機会を持つようになった。印刷所の所長さんは夏になると行田の名店からうな重を取り寄せた。これがまた実にうまかった。
私は少しずつ母の味から離れていったのかもしれない。
すき焼きの楽しみは、ひと通り食べ終わった残り汁をご飯にかけて食べることに尽きる。すき焼きに残り汁はない、という人もいるかもしれないが、それはすき焼きの食べ方を知らない人である。残り汁は作る物である。
肉はコマ切れのようになっていて、ネギも白菜も白滝もくたくたになっている。それがご飯に馴染む。割り下は十分火を通すからまろやかな味になっている。
すき焼きは豚鍋風に食べるのがいい。汁に肉のうまみがしみ込んでいれば牛でも豚でも同じである。でもこの汁かけご飯を食べる度に、「ほんとは牛の方がいいんだけどね」という母の顔を思い出す。(了)
コメント