この道はいつか来たけど

つぶやき

 今朝の新聞に、阪神・淡路大震災に関連して「41歳男性 祖父宅への坂 今も上れない」と題する記事があった。

 あの大地震で祖父は祖母をかばって家の柱の下敷きになって亡くなった。その祖父の家は坂の上にあり、男性は子供の頃からその坂を上ってよく泊りがけで遊びに行っていた。

 祖父の家は大半ががれきになっていた。22歳のころ追悼行事でその坂の下まで行ったが、その先に足を踏み出せなかったという。結婚した妻にも坂道を登れないことを伝えていない。

 「震災の経験とか記憶を後世に伝えたい、残したいとは思わないんです。何を伝えたらいいのか分からないし。こんなしんどい思い、相手に共有させたくないじゃないですか。後ろを向くより、前を向いて生きてもらった方がいい」

 その男性の言葉である。昨年の12月に、この記事を書いた新聞記者と車で坂を上ったが、祖父の家があったと思われる場所には立てなかったという。

 そして最後に次のような言葉があった。「震災のことを忘れていい、忘れてはいけない、とか考えたことはありません。ただ、忘れようとしても忘れられないんです」

 この記事について感想を書くつもりはない。ただこの記事で分かったことがひとつある。

 戦争に行った人や大地震のような大災害に遭った人が、その体験、の多くを語らないことである。

 あの大地震が引き起こした多くの悲しみや苦しみは、坂を上れない、という男性の気持ちとして残っている。そういうものかもしれない。

 この記事を書いた記者の方に敬意を表したい。そして、言葉は少なかったが孫を可愛がり、妻を助けた75歳のおじいさんのご冥福を心から祈りたい。(了)

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