宮崎での地震の余震が馬鹿に少ない。大きな地震の後は、大小含めて余震が長く続くものだが、NHKの地震情報には数えるほどしか載っていない。
震度6弱くらいでは放出しきれなかった地震エネルギーが、一気に爆発するのではないかと気にしていたが、やはり緊急地震速報が鳴った。
「いよいよ来たか」と、慌てて速報画面を見たが、酔った目では画面がハッキリしない。
テレビに近づき、「神奈川、東京、埼玉」などの地名に驚いた。宮崎ではない。どんな揺れがこれから関東に来るというのか。
神奈川県西部を震源とする震度5弱の地震であったが、震度4として我が住む市名が唯一掲載されていた。なぜここだけ震度4なのか。あまりいい気はしない。
一昨日の地震は南海トラフの西の端、昨日は東の端。端と端が崩れてしまっては、この先どうなるのかは決まったようなもの。
学者は1週間の注意を呼び掛ける。小椋佳は「僕は呼びかけはしない」と歌った。
呼びかけられてもどうしようもない。
野口健という人はアルピニストということだが、「南海トラフ地震臨時情報」を受け不安を綴った、という記事があった。
「南海トラフ地震や首都直下地震、また連動し富士山が噴火してしまえば、この国はどうなってしまうのだろうか。リアルに想像すると恐ろしい…」
綴るまでもない、誰だって恐ろしい。
「この国はどうなってしまうのだろうか」ということが、ずっと昔から、この国の問題である。
この問題に一つの結論を出したのが小松左京氏である。「日本沈没」という小説で、日本を沈没させることを思いついた。そこら中地震だらけの日本であるから、沈没してしまうと思いつくのは簡単なことである。山村美紗でも思いつく。
小松氏の元々の構想においては、「日本人が国を失い、放浪の民族になったらどうなるのか」ということがテーマであって、日本列島沈没はあくまでもその舞台設定である、ということらしい。
しかし、日本が消滅し、日本人を放浪の民族として描くことは、テーマとしては面白いが、小説にするのは極めて難しい。小松氏にそんな力量があっただろうか。
結局続編はうまくいかなかったようだ。
「日本沈没」は、ショッキングな内容ではあったが、日本人の心理にはあまり影響は与えなかったように思う。
出版社や映画会社はセンセーショナルな作品に仕上げることしか関心がなかったようだから、「日本沈没」は薄っぺらな、子供だましのような映画になってしまった。
日本は、「この国はどうなってしまうのだろうか」と、大半の国民が考えている国である。と同時に、「将来のことは考えてもしょうがない」と大半の国民が考えている国でもある。
大地震については、やはりこれからも、「将来のことは考えてもしょうがない」で済ますことになるのだろうか。(了)
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