どうも、舞の海さんとか、立川志らくさんが好きではない。人に対する好き嫌いはよく相手を知ってから言うべきであるが、知りようもない人達であるから受けた印象での好き嫌いである。
嫌いついでに言うと出川哲朗とかヒロミなる芸人もダメである。特にヒロミという人については全く受け付けない。
人に対する好き嫌いを言ったところで意味もないが、テレビに出て少なからず私に不愉快を感じさせる人たちなのであるから、好きではないと、少々気晴らしを込めて口にしてもバチが当たるということもないだろう。
ネットで「舞の海」と検索すると「舞の海嫌い」と出る。私と同じように思っている人はいるもんだと感心して「立川志らく」と入れてみると「立川志らく嫌い」と出てくる。
二人とも結構嫌われているんだと思ったが、この見出しは決まり文句のようである。試しに松本人志と入れてみると「性加害松本人志」ばかり出る。今は嫌いよりも性加害の方が優先のようである。
芸人たちが如何に嫌いか、ということを書こうというのではない。ある思考傾向が間違っていて、その考え方をする人間が嫌いなのである。その典型例が先日のネット記事にあったので少し引用することにした。
その記事とは、落語家の立川志らくが女優の小泉今日子の発言をめぐり、持論を綴ったものである。
小泉は「文芸春秋」の企画で有働由美子と対談して、昨今のバラエティー番組について「絶対出たくないですね」「くだらないから」などと発言した。
この発言に対して志らくは「くだらないから出演しないは看過出来ない。そのくだらない世界に命をかけている人も沢山いる」と述べているのである。
そして次のようにその主張をフォローしている。(一部割愛)
「落語だってくだらないよ。落語はあってもなくてもいい仕事と言われている。でもね、それに命をかけて、間(ま)がどうの、与太郎のギャグがどうのと命を賭けているのが落語家だし、それを応援してくれる人々が少なからずいる」
そしてさらに、
「歌謡曲だってくだらないよ。くだらなくて何故いけない。くだらないものでもその歌に元気づけられたりしている人が沢山いる。だから素晴らしいんだ。『なんてったってアイドル』なんてらあんなくだらない歌はない。だから凄いんだ」
(『なんてったってアイドル』は小泉の持ち歌のことである)
そしてさらに、
「ジャズだってロックだって当初はクラシック音楽から見れば低俗だと言われた。でもグレン・ミラーやビートルズがベートーベンやシューベルトより劣るのか」
志らくの発言が間違っているのは、他人の気持ちを勝手に援用して、それを自分の根拠にしていることである。こういう輩が世の中には結構多い。
小泉今日子の言葉は、それだけのことで意味があるわけではない。バラエティー番組はくだらないから絶対出たくない。それはそれでいいのである。
「くだらないから出ないとは何事か。くだらないことに命を懸け、人生をかけているものがいるのだ」、という志らくの言葉は、ポーズであり嘘であり偽善である。
くだらないことに命を懸けたからなんだというのだ。くだらないことに命を懸けている者は、くだらないことに命を懸けているなどとは言わないものである。
テレビのバラエティーはくだらない。落語はくだらないものである。歌謡曲もくだらない。「だから素晴らしいんだ、凄いんだ」などときいた風なことを言うな、と言いたい。くだらないものがなんで素晴らしいのだ、凄いのだ。逃げ言葉ではないか。
グレン・ミラーやビートルズよりはベートーベンやシューベルトはやはり上である。
比べて言っているわけではない。比べる必要もない。(了)
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