俳優の関貴昭(せき・たかあき)さんという人が、この15日に食道がんのため死去したことが所属事務所から発表された。54才という若さであった。
私はこの俳優さんを知らないが、プロフィルに「雨あがる」という映画に出演していたことが記載されていたので調べてみたが分からなかった。
闘病の経緯は何も記載されていない。「食道がんのため逝去しました」と書いてあるだけである。大変な苦しみの中で亡くなられたのではないかと思う。
私の中学時代の同級生の弟さんが、まだ60になるかならいかという時に食道がんで亡くなっている。アメリカの大学の教授にまでなった人である。
同級生はこの人のお姉さんになるが、弟の病状を逐次見ていたらしい。「食道がんで死ぬものではない」、ということを私に言ったことがある。凄まじい痛みの中で死んでいったらしい。
以前私が住んでいたマンションの管理人さんも61歳のとき食道がんで亡くなっている。「のどに食べ物がつかえると言うんです」という奥さんの話から病気がはじまったが、手術はできない状態だったらしい。
開腹したがすぐに閉じたという話を聞いた。
見舞いに行ったとき、「無事に手術が終わり、悪いところは全部取りました。すぐ仕事に戻れます」と嬉しそうに私に話しかけてきたことをよく覚えている。
それから半年もしないうちに亡くなってしまった。緩和施設でモルヒネを打ち続けたという話を奥さんから聞いた。
人が死んでいく話をするのはあまりいいものではない。ましてがんの苦しみなどは考えたくもないことである。
自分ががんを発症して気になる言葉があった。悪液質(あくえきしつ)という言葉である。あまりいい響きの言葉ではないが、その響きの通りいいことではない。
悪液質とは、何らかの疾患を原因とする栄養失調により衰弱した状態を指す医学用語であると定義される。
がんで亡くなる人はやせ細って、人相まで変わってしまうことを何度か見たことがある。このことを悪液質というのであろう。
「悪液質になった患者には、静かに見守ることがもっとも楽な方法です。無理に食事を摂らせようとしたり、点滴や注射や酸素マスクは患者を苦しめます。医療は死に対しては無力です。それどころか、よけいな医療は死にゆく患者さんを苦しめるばかりです。よけいな医療というのは、死を遠ざけようとする処置です。家族として何かせずにはいられないという気持ちが患者を苦しめているのです」と言う医師がいる。
「医療は死に対しては無力です」というのは、どういう意味なのだろうか。
死に至る病を治すのが医療とすれば、「死に対しては無力です」と言われては医療に対する期待が薄れることになる。
しかしそう言うことではなく、医師には死が分かるということだろう。確信した死には医療は無力である、ということだと思われる。
医師の確信は「見捨てるのか」「あきらめろと言うのか」と非難されることになる。
がんの終末医療において、痛みをコントロールするために医療用麻薬が使用されることがある。主にモルヒネだそうである。
麻薬というと中毒や副作用を恐れる人がいるという。死にゆく人に中毒の心配をするのはナンセンスというものであるがそう思う人が多いらしい。
なんとなく分かる話である。死を確信することは辛いことである。
死を語るのは楽しいことではない。しかし死を考えるのは大事なことである。
40才で肝臓がんになった芸人が、いろいろ女性タレントとの不倫問題など不祥事をおこしてきたことから、「今までやってきたことの報いだ」と言った。
冗談じゃない。がんは報いでなるものではないが、この人の場合は報いであっても構わない。(了)
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