お守りを買うようになった

つぶやき

 神戸大学医学部付属病院は6日記者会見を開き、医師が画像診断の結果を見落とし、肺がんの診断が約1年遅れる医療過誤があったと発表した。患者の現在の様態についてはなんの発表もない。
 
 「肺がんの診断が約1年遅れる医療過誤があった」という発表で、患者が亡くなったということではないらしい。

 患者が亡くなったということではないのに、何故1年診断が遅れたということで謝罪するのか。
 
 「早期に対応していたら、比較的早期の肺がんとして手術などの治療ができていた可能性が高い。発覚時にはがんが進行していて、根治治療をする機会を失う結果になった」
 早期がんを進行がんにしてしまったということらしい。

 肺がんはたった1年で早期がんから進行がんになってしまうものなのかと、神戸大の医療ミスの事よりそのことの方が気になった。

 医療も人間が行うもの。過ちがあることは当然のことである。
 過ちは二度と繰り返しませんと謝罪するが、人間が行うことに言い切れることなどあるはずはない。過ちをしたくせになんでそんなことが言い切れるのか。言い逃れというしかない。

 医療ミスには見落としと、見誤りということがある。病院は見落としによる医療ミスを避けたいのか、なにか異常を見つければ、「○○の疑い有り」という診断を乱発する。この時に見誤りをすることになる。

 ○○が死亡率の高いがんなどであれば、見誤れた患者にすればたまったものではない。

 あってはならない医療ミスが起きる。
 あってはならない医療ミスだが、人間のやることであるからミスは起きる。

 病院は早いとこ謝罪した方がいいと判断したときは記者会見で頭を下げる。口にはしないが、「人間のやることであるからミスは起きる」ということを腹の中に持っている。

 患者側は納得できなければ訴訟ということになる。
 病院にミスがあれば患者勝訴となる。
 病院は損害賠償を命じられるが、保険会社が支払うことになっているから実質負担はない。
 
 医療ミスに保険が利用されるのであるから、医療ミスは当然あることとして社会に位置づけられている。

 医療ミスに限らず被害者は「事の真実」が知りたいと言う。真実なんてありはしない。「失敗した」という事実があるだけである。
 
 病気になるのも運不運。いい医療にかかるのも運不運。
 人間にできることは、いい運に恵まれることを祈るだけである。
 
 最近神社でお守りを買うようになった。少し前までそんなことは絶対にしなかった。

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