人生100年ということになったからか、老後の生活資金のことがいろいろ言われるようになった。
高齢者の人生は食べていけるかいけないかの2つに1つになる。食べていける人はそれでいい。食べていけない人は結局生活保護ということになるのだろうか。
食べていけず認知症にもなって、行く先はは八王子滝山病院ということであればなんとも人生は悲しい。
若い頃勤めていた建築会社で知り合った2人の友人の老後が全く違う。
ひとりは、子会社をたらいまわしにされ、まさに飼い殺しであったが、70歳近くまで勤め上げ定年退職した。
もう一人は48歳の時に早期退職に応じ多額の退職金を手にして会社を辞めた。
言うまでもなくうまくいった人生を送った人は定年までいた人である。退職金を手にして多めの年金を受け取り、奥さんは近所のスーパーでパート勤めをしているという。老後は万全だと自慢げに言う。
早期退職した人はいま年金では生活できず、シルバーセンターの仕事で障子張りなどをしながら生活をしている。
早期退職金は外国人女性に貢いでしまった。うまくいかなかった人生ということになるが、後悔はしていないらしい。
食べていけない人をあまり見かけない、日本という社会はやはり豊かな社会なのだろうか、と言うと、食べていけない人は表を歩いていない、と答えた女性がいた。こういう考え方ができる人は商売をしていた人に多い。
みんな歳をとったけれどみんな元気じゃないか。やはりそんなことはない。年をとることは確実に衰えていくことである。元気じゃない人は表を歩いていないということである。
人生うまくいったか、いかなかったか、ということになる。
人間の寿命が70歳くらいであれば、うまくいったか、いかなかったかを考える必要もなくあの世に行けば終わりとなるが、100年となるとそれがその差が出る。
以前仕事で私設の介護ホームを経営する女性と知り合う機会があった。
人間らしくまともな老後を暮らすには一人1億円が必要だという。夫婦で2億円。想像もできない金額であるが、そのくらいの金を出してもらわないと本気になって介護する気にならない、ということらしい。
古ぼけた年寄りを誰が安く介護してくれるか、誰でも分かっていることであるが、自分のこととなると分からない。安く済まそうとすればそれなりの老後になることは間違いない。
人生うまくいった、人生逃げ切れそうだ、と団塊の世代が言うらしい。
確かに団塊の世代は競争に明け暮れた厳しい世代だったと言えるが、恵まれた世代だったということも言える。
しかし嫌な話であるが、老後にはお金の問題と同じくらい、あるいはそれ以上の問題がある。認知症である。人生本当に逃げ切れればいい。
人間歳をとれば人生の大体のことは経験で分かる。しかし認知症は歳をとってからのものである。本人は認知症になったことが分からない。やはりとんでもない病気が老後には控えている。
人の老後には、一方に1億円の介護があり、一方に八王子滝山病院の死亡退院がある。うまくいった人生であったかどうかは最後までわからない。
長年住み慣れた家のトイレのドアとお風呂のドアの区別がつかないという話を聞いた。妻の知人のご主人のことである。優秀な人であったらしい。
ただこわい話だな、と思うしかない。(了)
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