ときどき「砂の器」という映画を思い出す。
「会えば今やりかけちょる仕事がいけんようになるちゅうて、なんでそげんなこと言うだらか。ワシには分らん。たった一人の親、 それも、あげな思いをしてきた親と子だよ。秀夫、ワシゃあ、お前の首に縄…縄付けてでも、引っ張っていくから、来い!一緒に。秀夫」
このセリフの中の「あげな思いをしてきた親と子だよ」という言葉を口にすることがある。
私のたった一人の母は「あげな思い」をして生きてきたが、私は母のお陰で「あげな思い」をすることなく生きてきた。
私の子供たちは「あげな思い」はしなかったと思うが、私から「あげな思い」をさせられたのかもしれない。
秋めいてきたようだがまだ秋ではない。だが78歳。人生晩秋である。
晩秋は人生を振り返る。振り返ると道路工事に置かれた三角コーンのようないろんな自分がいることに気づく。
妻に止められている寝酒を少し。明日は土曜日。リタイアしてから曜日はボケの確認にしか意味がない。
「ふけゆく秋の夜」にはまだ少し早い。



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