いろんな考えがあっても多数決

つぶやき

 ビッグモーターという会社の保険金不正請求が報道されている。
 以前から車検の不正についてもいろいろ問題を起こしている会社であるとも報じられている。どうもよろしくない会社のようである。
 しかし経営者や弁護士は、業績を上げるため社員が勝手にやったことで、会社は関係ないという。
 そんな理屈が通るはずもない。社員が勝手にやったと言うことに責任のなさを感じる。

 会社が関係していないなどということはありえない、と考えるのが常識だが、会社が関係しているなどありえない、と思う人もいるだろう。こんな大きな会社が悪いことをするはずがないと信じている人もいる。

 物事すべてがそうであった。旧統一教会、マイナカード、高市発言、LGBT問題。他にもいろいろ問題はあったはずだが、思い出せないのでこの程度にするが、旧統一教会は様々な問題を起こしていながらその活動に賛同する人も多い。
 マイナカードは素晴らしい制度だという人もいる。
 高市議員さんの「これが捏造でないなら議員辞職する」という話はその後どうなったのであろうか。
 そういうことがあっても高市議員を絶賛する人もいる。
 一つの事実が見る立場、あるいは利権によっていろいろな意味を持つ。

 関東大震災の時に起きたという朝鮮人虐殺事件に対する政府の見解は、虐殺は民間の伝承で、事実の有無について確認できない、というものである。
 この見解を不当と見る人もいるし、政府として正しい見解だという人もいる。
 最近は歴史的事実を認識することにいろいろな立場が入り組んできている。
 歴史の事実は一つであるが、どう認識するかは立場による。そういうことはなかったという認識も一つの事実になる。複雑怪奇な時代になってきた。

 ビッグモーターのCMに出ていたタレントが契約解除をするという。
 そんな会社だったとは知らなかったということだろうが、責任がないとは言えない。
 そのタレントが宣伝しているからビッグモーターと契約した、という人もいると思われるからである。

 今のテレビコマーシャルはイメージキャラクターである。とは言ってもタレントと商品に関連があるわけではない。
 美人なタレント、格好いいタレントを登場させるだけである。見る者が勝手に思い込むことがコマーシャルになっている。
 不当表示だと私は思うが、どう思い込むかは視聴者の自由ということになっているから不当表示にならない。

 今はいろんな視点が存在する時代である。昔は簡単であったような気がする。
 昔は簡単であったということは、いろいろあっても無視し、見捨ててきたということである。それが現代に問題として浮かび上がってきたということであろう。
 マイノリティは社会の隅に追いやっておくものであった。

 社会が多角的な視点を持つことは大切なことであると思う。
 しかし多角的な視点は論点がぼけることでもある。多角的視点を持って結論に至る論議をこの社会はできるのだろうか。そこまで成熟した社会とは思えない。

 議論でまとまるものはまとまるし、まとまらないものはまとまらない。議論は大事なことだと子供のころから教わってきたが、現実はそうでもない。
 議論は無駄で意味のないことだと中国は言っている。議論の国であるアメリカでも、前大統領は議論の府である国会に暴力を向かわせた。

 日本の国会は議論がされているが、あれを議論と呼ぶのはおかしい。日本において最も真剣になされる議論は、「この総理で選挙に勝てるか」、ということではないだろうか。(了)

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