あまりいい話ではないが私にはいい話である。
このところそれこそ何年振りかで快便が続いている。ずっと便秘と下痢を繰り替えしていた。このパターンは言うまでもなく大腸がんの症状である。
一昨年の健康診断で便潜血が指摘され、1月に内視鏡でポリープを取ったが、がん化していたという検査結果であった。幸いなことに大腸の壁面への浸潤はなかったらしく、経過観察ということになった。
半年後に別のクリニックで経過観察をして、去年の7月にも内視鏡の検査を受けた。いずれもポリープを3,4個取っている。大腸がんの兆候はその後ないらしい。
1年半の内にポリープを10個以上取ったことになる。そんなに増えるものかと思うが、内視鏡の検査においてはポリープ1個につきいくらである。見つからなかったではクリニックの売り上げにかなり影響する。そんなものかなと下品な想像をする。
昨年の10月頃、相変わらず便秘と下痢を繰り返すので、7月に大腸検査をしたクリニックに相談に行ったが、過敏性腸症候群という診断を受けた。
立派な病名をいただいたが、要は原因はよく分からない、ということなのではないか。薬は市販もされている整腸剤が処方されただけである。
一向に薬が効く気配がない。12月頃に補聴器の相談で近所の耳鼻咽喉科にかかったがその際、少し副鼻腔炎の症状があるということで抗生剤と整腸剤の処方箋が出された。
この整腸剤と前のクリニックで処方されたものとは異なるが、耳鼻咽喉科で処方された整腸剤がよく効いたようなのだ。
薬にも相性というものがあるようである。以来この整腸剤は私の常備薬となった。
快食快便は昔から言われているように健康の源である。
大地震や台風の避難所で、トイレの不衛生なことがよく言われる。汚いトイレに行きたくなくて我慢してしまう人もいるようだ。
日本のお役所の、例えば避難所に対する考え方というものは、「行き届いたサービス」というものには程遠いように思える。
もちろんトイレを設置し、毛布を用意し、弁当を提供するのは当然であるが、それが十分なのか、不便なことはないのか、トイレの数は避難者の数に比して足りるのか、という判断はできないようである。
これだけやっておけばやったことになるという意識しかない。避難者のプライバシーなどと言うことは思いもしなかったことらしい。
最近になってやっと避難所における避難者のプライバシーが取り上げられるようになった。日本はこういうことに関しては後進国である。
何度も取り上げられた話であるが、阪神淡路大震災の際のある避難所で、ストーブの使用が禁止された。お役所が認めなかったのである。
たまたまその避難所にはストーブがあったということらしいが、他の学校の体育館などの避難所にはストーブがなかった。
お役所は他の避難所にはストーブがないのだから不公平になるとしてストーブの使用を認めなかった。これが愚かな、創造性を欠如した判断であることにお役所は気がつかない。
快便の話であった。毎日朝起きて風呂に入り、贅沢な朝食をいただいて、すっきりと用を足す。これほどの幸せはない。
いつもトイレで思うことだが、喉頭がんなどで喉頭の摘出をした人は息むことができない。
便もそうであるが、鼻をかむこともできないそうである。人間の機能には一つも余分なものというものはない。
やはり体の機能をとってしまうということはどんなことでも大変なことなのだと思う。
つくづく息めるわが身の幸せを想う。この幸せがいつまでも続くことを祈るばかりである。そう言えば昔イザヤ・ベンダサンという評論家がいた。含蓄のある名前の人だった。(了)
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