いい役者を失った

つぶやき

 昨年10月に亡くなられた西田敏行さんのお別れの会が、昨日芝増上寺で行われたという。誰にでも好かれた人であったから盛大な会になったのではないだろうか。

 最近の西田敏行さんといえばドクターXの院長という役になるが、私はあまり好きではなかった。悪役ということなのだろうが、どうもコメディアンの地が出てしまって、それが影響したのか下品な印象しかなかった。
 あの顔で徹底した悪人を演じたら面白かったのではないだろうか。

 三枚目とかコメディアンが、映画の主役を演じるようになったのはいつの頃なのか。エノケンやロッパの時代までさかのぼる知識はないが、私の世代となると渥美清さんということになる。

 映画の主役は、水もしたたる二枚目がやるものと決まっていた。「映画俳優になれるほどのいい男」がいい男の基準であった。
 大きなスクリーンに映るのは美男美女でなければ絵にならない。美男でも美女でもない役者を、大型スクリーンで見ることは耐え難いことである。

 渥美清さんは「喜劇俳優」を目指し、浅草のストリップ劇場などでショーの合間の軽演劇に出演する。この世界から後にテレビなどの人気者になったコメディアンは多い。

 しかしあの時代、つまりテレビが爆発的な人気を得る前、渥美清さんは何を思って喜劇俳優を目指したのだろうか。後年、車寅次郎の役を得て、日本映画の歴史に残るような俳優になると予想していたとは思えない。

 昭和30年代の喜劇映画といえば、森繁久彌の駅前シリーズや社長シリーズとなる。この映画にはギャグとか馬鹿らしさではなく、上質な大人の笑いというものがあった。

 昭和37年に、駅前シリーズと植木等の「ニッポン無責任時代」が併映されたことがある。観客は圧倒的に植木等の映画に笑った。喜劇の質がこの映画を境に変わったようである。

 三枚目が人生を演ずるようになった。昔の映画では考えられないことである。しかし世の中は三枚目が多い。三枚目が演じてこそ人々の共感を得るものである。

 西田敏行さんが演じた人生に好きなものがある。
 映画「学校」でのラストシーン。

 「私高校に行くの決めたの。そして頑張って大学に行くの。それも教育学部。先生の資格を取って、この夜間中学に帰ってくるの」とえり子が言った時の黒井先生の表情がいい。二枚目では絶対演じられない顔である。

 あらためていい役者さんだったと思う。

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