いい人生観を持ってほしい

つぶやき

 「どうして日本では男たちが道端で談笑していないのだろうか」、という話を妻がするようになったのは、妻が初めてスペインやポルトガルに旅行して帰ってきてからのことである。

 スペインやポルトガルの町なのか村なのか、あちらでは年寄りに限らず男たちが街角で気軽に人と話をしているらしい。

 ではパリやロンドンの街中ではどうなのだろうかと思うが、少し郊外に行けば人々はやはり親しげに談笑しているという。

 それに比べて日本は、というのが妻の話になるが、日本ではそんな風景は見たことがない。

 日本中を見て回ったわけではないからそう言っては不正確になるが、我が町ではそのようなことはない。第一男たちが歩いていない。

 東京の下町とか地方の町では、男同士の付き合いというものは盛んなものなのだろうか。

 我が町は多分半分近くの人が定年退職者である。しかし老人の町として特に交流があるわけではない。みんな門戸を閉ざして人との関りを避けているように見える。

 いいこととか悪いこととかということではない。自分の好きなようにやるということが、人と関わらないこと、ということになる。

 人間関係は大事なものであると言われるが、大事なときと大事ではないときがある。大事でなくなったら人間関係などないほうがいい。

 仕事をやめて人とのつき合いは全くないが、それが別に苦になるということはない。
 人との関係はないほうがいろんな意味でいいことである。

 人間関係に悩むという話は新聞の人生相談でもよく見かけるが、嫌な人間と関わるようなことになれば確かに大変なことである。

 嫌な人間はどうしようもなく嫌な人間である。どうしてこんな嫌な奴がいるのだろうかと思う。会社の同僚などにいたら本当にやりきれない。

 私が人間の奥深さを知ったのは、生きることの素晴らしさとか人に対する感動ではない。

 人に媚びへつらい、仕事をした振りだけはうまく、上司のご機嫌を取ることしか関心のない人たち。自分の利益しか考えず、問題を起こしても何ら責任を取ろうとしない人たち。そういった人間が多くいることを知ったことである。

 これを人生の奥深さとは言わないのであろうが、そういう人たちが何の支障もなく生きていけるのだから、人生の奥深しさという言い方がふさわしいと思うのである。
 私にはどうしても理解できない人たちである。

 息子が部長に昇進したとメールをくれた。名前を出せばその名を知らぬ人はいない会社である。

 40代半ばでの部長職。私の経験からすれば若い部長ということになるが、今の時代、早い出世なのか遅かったのかは分からない。

 息子のメールには「ようやくたどり着いたので安堵しています」というコメントがあった。

 私には学歴がないから人生の道を何度も変えてきたが、息子はこの会社で人生を全うするだろう。日本の経済に大きく関与する会社である。責任も大きく負担も並大抵のものではないはずだ。

 私の人生にはたどり着くものがなかった。目標もなく、一所懸命の人生ではなかったからだ。

 「ようやくたどり着いた」という息子の言葉に、私の知らない息子の苦労を感じる。社長になることは簡単だが部長になるのは簡単なことではない。

 個人として生きていくことは確かに自由な人生であるがたかが知れている。そんな人生で得られる感慨は、大したものではない。

 大きな組織の中で自分を生かし、場合によっては自分をセーブし、そしてその大きな組織を利用し動かして、社会に貢献することが男の仕事である。

 私などができないことをやってほしい。心からエールを送る。(了)

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