いい人が政治家ではない

つぶやき

 2人の副大臣と1人の政務官が、それぞれの不祥事で相次いで辞任したから異常事態ということになったが、時期的に重なったというだけのことで、いつものことである。女性問題だの選挙違反だのは今始まったことではない。
 今回は税金滞納ということもあったが、みみっちいことに固定資産税である。滞納しても国税と異なり課徴金がない。政治家になるような人なら、「督促状が来たら払えばいい」、と考えるのは当然のことである。

 政治家なのに悪いことをしたと考えれば腹も立つが、悪いことをする人だから政治家になったと私は考えているから、もちろん呆れはするが、別にどうということはない。

 道徳教育は従順な人には効果があるが、志を持った人には効果がない。志は政治家になることだけではなく、商売にも事業にも言える。中古車販売会社やタレント事務所の社長さんたちを見れば良く分かる。

 なにごとにも従順な人は、飼い殺しのように働かされても感謝して真面目に働き、わずかな年金と老妻がパートで働いて生活が安定していることに幸せを感じる人である。

 悪いことをしても、数千人の社員とその家族の生活のために給料を払い、若者にタレントの夢を実現させることは、悪いことのできない人間にはできることではない。悪い人間は悪いだけではないが、いい人間はいい人間だけのことである。そういうことを社会というのであろうか。

 政治について若い作家に尋ねると、「政治について発言するのは自分の仕事ではない」、という言葉を聞かされた経験がある、という新聞記者の記事があった。日本における政治の在り様を表している言葉である。
 欧米では芸能人でも当然のように政治の話をするという。日本は政治に関する話はタブーになっている。芸能人が政治のことでも話題にしたら即干されるということになるらしい。国民が政治の話をしない社会が健全な社会であるはずがない。

 近所の知人が1年近く前に脳梗塞を起こし、近々奥さんと共に施設に入ることになったという話を奥さんから聞いた。医者であり、ゴルフ好きで一緒に回ったこともある。86歳になるという。知り合ったときは66歳、私は56歳であった。あれから20年。みんな、なるようになる人はなるようになってしまう。
 人生来るべきものが来るのか、行きつくところに行くのか。いずれにせよ長くてもあと10年足らずのことである。
 心沈む日は沈むままにした方がいい。(了)

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