あ じ さ い

つぶやき

 あじさいの季節になった。花にはあまり興味はないが、この花は雨に咲く花である。
 植物は太陽を浴びて成長し、花を咲かすものと思っているから、雨に濡れながら生き生きと咲くこの花を見るたび、なにか不思議な気になる。

 生き生きと咲くと書いたが、もちろん明るい陽射しのもとに咲く花と同じように生き生きと咲くということではない。霧が立ち込めるように降る雨の中、けなげにきちんと咲いている、ということである。

 この花がなければ梅雨の季節は鼠色一色になってしまう。うっとうしい季節の生活の中で、何か忘れていたことを思い出させてくれるような花である。

 日本人は土手や山間地に桜を植えてきたが、あじさいも植えてきたのではないだろうか。あじさい寺と呼ばれるお寺が各地にある。

 梅雨時道路を走っていてあじさい街道であることに気づく。観光列車の線路脇にはあじさいが植えられていることが多い。

 平地にも法地(のりち)にも植えられる花としてあじさいが重宝がられたのかもしれない。華やかな桜も好きだが、地味なあじさいも趣があっていい。

 アジサイの他に雨に咲く花はあるのだろうかとネットを見たら歌謡曲の「雨に咲く花」のことばかりであった。井上ひろしという歌手が歌ったリバイバル曲である。そういえばそういう歌手がいて、そういう歌があった。

 歌詞を見たがあじさいという言葉は出てこない。「雨に打たれて咲いている花がわたしの恋かしら」という歌詞が唯一花に関する言葉である。

 雨に咲く花にはバラ、ラベンダー、シャクヤク、花菖蒲などがあったが、やはりしっくりするのはあじさいということになる。

 あじさいに人々は何を思うのだろうか。雨に咲く花である。しっかり者と言えるし、性格が暗いともいえる。

 太陽のもとでは咲かないのであるから人生裏街道、といった面もある。
 花言葉も色々である。冷淡、無情、浮気、知的、神秘的、辛抱強い愛。要は人様々に思う花ということになる。あじさいは紫陽花と書く。確かに何か意味ありげである。

 私があじさいという言葉を知ったのは映画の題名ではないかと思う。幼いころ過ごした家にはあじさいはなかった。

 私の記憶の中では、芦川いづみという女優さんの名前とあじさいという言葉がセットになっているのである。その映画は見ていないがポスターやスチール写真で鮮烈な思い出があるのである。

 芦川いづみさんという女優さんは近所のお姉さんという感じの人だったが、美人とか美人じゃないとかいうことではなく、今までの女優さんにはない普通で、感じがよくて、気立てがよさそうで、それでやっぱり美人という人なのである。

 そのポスターを見たのは中学生の1年生くらいのことだったと思うが、その年くらいになれば女性の良さは分かるものである。

 ともかく芦川いづみさんという女優さんは、あの当時大女優という意味とは違う、男性があこがれる女優さんであったことは誰もが認めるはずである。

 花については全く知識がないが、何事もそうかもしれないが、年月とともにマニアックになっているような気がする。女房の庭いじりを見ていてそう思うのである。

 最初はモッコウバラや大輪のバラが庭中に咲いていた。それを切り取ってしまって一重のバラなどが咲いている。バラ以外の花といえば地味な色合いのものとか、それこそ楚々とした雑草のような花ばかりである。

 周囲を大輪のバラの花で囲ったような家を見かけるが、女房の作る庭を見ているとそういう庭はうっとうしくてやりすぎという印象を受ける。

 何がいいかは本人が決めることであるからとやかく言うものではないが、好みの世界には「たどり着く」というものがある。

 たどり着いた先というのは結構狭いものである。
 好みの問題だとするのは、まだたどり着いていないという事になる。飽きっぽい性格であるから何事もたどり着いたことがない。(了)

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