東北大震災と原発事故から13年が経った。
このところ双葉町や飯舘村のことがテレビや新聞などで報道されている。まだまだ故郷に戻るという状況ではないようだ。
関連死の人を含めて22,000人を超える人が亡くなり、2,525人の人達がまだ行方不明となっている。
たくさんの悲しみが報じられて来た。汚染のない関東に住み、便利な生活の恩恵を受けている。
申し訳ないが東北の人達の苦しみを理解できる環境はない。苦しみは同じ苦しみを経験しなければわからないものである。
能登半島地震の震源地に近い珠洲市に、以前原発の建設計画があったことを知った。いまから50年程前のことである。
賛成派、反対派、分断、街の衰退、利益誘導、懐柔、賛成派商店の不買運動、盗聴、ブローカーの暗躍、乱れ飛ぶ札束、無償旅行の招待。
醜悪なことがたくさん行われた。
知らないうちに反対派の代表のようなことになってしまったという僧侶が先日テレビに出ていた。80歳近くになる。
どうして反対したのかという記者の問いに対して、「強い者の見方をしたら坊主じゃない」、という父親の教えにしたがっただけだと言っていた。
電力会社は、反対運動のせいなのか、採算のせいなのか、はっきりさせないまま30年後建設を撤回した。
福島第1原発事故が起きた時、反対派の人々は市民から感謝されたという。
もし珠洲市に原発が建設されていたら。
今回の地震は起こるべき事を具体的に人々に突きつけた。
4メートルも地盤は隆起している。原発の建物が地震に耐えるというレベルではない。配管も建物もすべて破壊される。
陸路は亀裂で絶たれ、海路も閉ざされた。逃げられない
「原発事故が起きたら能登はなくなっとったかもしれんね」
「日本に原発を造れるところはどこにもないね」
珠洲市の人々の実感である。
日本は人口減少でも、AI(人工知能)やEV(電気自動車)の未来は莫大な電力を必要とするらしい。
「もっと電力を」それが政・官・業の主流の人々のビジョンだそうである。
その通りだと思う。豊富な電気なくして国の存続はあり得ない。
しかし原発のリスクはあまりにも大きい。福島原発は本当に廃炉にできるだろうか。使用済核燃料の再利用は本当にできるのだろうか。汚染水の処理も海に捨てればお終いということではない。未来永劫に続けるものではないか。
神話つくりやデータ改ざんを行っていても、原子炉は人間の頭脳を離れたところにあるものである。なにかあってからでは遅いということは福島原発事故で充分である。日本はあまりにも陸地が狭い。
二酸化炭素規制で火力発電も思うように行かない。水力発電、風力発電、太陽光発電でも足りないのであろうか。
原発推進で誰がどう儲けようと、政・官・業がいくら癒着していても構わないし、御用学者がいい加減なことを言ってもいいが、日本の場合は危険が多すぎる。他の手段を考えた方がいいのではないか。
原発を続けていけば、そのうち世界は日本列島全体を石棺に閉じ込めてしまうのではないだろうか。いくらなんでも危なっかしすぎるのである。(了)
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